どのような、巡り合わせなのか、
どのような、縁が在ったのか、
どのような、流れが在ったのか、
…
僕は、知らない。ただ、僕は、とにかく、その門を潜り抜けて、
いま、この世界に存在(いる)。
その時々の流れが有るようなのだが、どうやら、今は、確かな暗闇のようだ。
だが、不思議と、僕の歩む道は、ハッキリと観えている。
また、その道を照らす物もあるようだ。
その道の果てに存在するのは、究極の権威者達になるのだろうか…
何物が、其処に居るのだろうか…
僕は、知っている…!?
権威者かなんだかは、僕は知らない。ただ、僕の究極的な味方ではあるようだ。
少なくとも、僕のことを観ている。
…
だから、常に自問する。
…
『観ている者たちに対して、魅せる『舞』を披露できているのか…?』
…
このような『もの』達に対して、様々な作法が、他人、それぞれに有るのだろう。
僕の場合は、
『祓い給へ、清め給へ、守り給へ、幸給え、』
そして、この後に、
『観ている者たちよ、この『舞』を見届け給へ』
…
人の、殆どが
…
見ることは出来ても、『観る』ことが出来ず
聞くことは出来ても、『聴く』ことが出来ず
言うことは出来ても、『謂う』ことが出来ず
…
彼らは、確かに
『観ている』
『聴いている』
そして、時々
『謂う』
改めて、
かくありたいと思う。
まもなく…
365 × 50 = 18250(日)
これまで、刻んできた歩み。
これからも、この『道』に歩みを刻む。
この『道』の果ての、『景色』を『観る』ために
takumaroは今日も往く!
追記(ほぼほぼ…蛇足…もしくは、残酷な現実…)
誰もが、道を歩んでいる?
そもそも、道にすら辿り着けないのでは…
仮に道に辿り着けたとしても、こんな暗闇では…
だから、道を歩むために…
『観る』ことが出来るようにならなければ。
道を照らす光は、様々に在る。
『聴く』ことが出来るようにならなければ。
道の歩み方を、教えてくれる現象が、様々に在る。
『謂う』ことが出来るようにならなければ。
改めて、自身が志士として後から来る者の『道標(光)』となるために。
追記(師匠の教え)
柔道で出会った師匠の1人は、言語化(このような)をとことん嫌う。その師匠の教えになる。
『背中で、ものを、謂う』
(ものは、背中で謂う。)