『疑惑まみれの世界』で…

良い景色…(僕にとっては)

 

例えば…こういう景色を『いい景色だ!』と感じるとき、

其処には一体、どんな心の(魂の)働きが在るのだろうか…?

 

勿論、今となっては、写真を撮った僕にしたって(当事者にしたって)、

この『いい景色だ!』

は、『記憶』と『記録』に留めているにしか過ぎないのだが…

 

発信され続ける『情報』に嫌気を感じつつ…

 

ロシアに依るウクライナへの軍事侵攻が始まって、もう2か月、いや、3か月が過ぎたのだろうか…

これほどまでに、ジャーナリズムの重要性、そして、各々のジャーナリストに掛けられた責任が増大した世界は、

かつて、在ったのだろうか…?

まさしく

 

 

『情報戦』

 

発信される『情報』に、『事実』や、『真実』も、含まれるが、『フェイク』もあり、更に其処に『国家間の思惑』も

透けて見えてしまう。

 

「本気で戦争を止めようと思っているのか?この人達は?」

 

何も、戦争という形態だけの話ではない。

 

常日頃からの、国家の思惑、大企業の思惑、発信される情報形態として、宣伝、広告、プロパガンダ、公営放送を使った

『情報操作』…本当に、八百万の神々達はどう思っているのか、僕は知らないが、個人的には、この状態、この状況を観て

ただただ、呆れかえってしまう。いや…約、1っか月位前からか…それを通り越して、胸が痛くなる事が多い。

 

国家、大企業、組織、個人、其処に存在する、無数の関係性に於いて、ただ、求められている姿勢は

 

1、呼びかけ(声を上げる、手を挙げる)、2、応じる(反応速度)、3、結果(あるいは成果)、

4、投資資金と回収結果(努力と成果の関係)、5、変化(作業の効率化)、

 

何かあれば、

 

情報共有、会話(対話)、言語化、…

 

解らない事もないけれどね…

 

(人々に求められている姿勢の確認をしたくて、この部分の使い回し(前回のブログの)をした。)

 

 

人の理解の仕方は…?人の認識の仕方は…?

自身の目の前で起きている現象(その事)を…

 

人が、その事(現象)を『認識する』ようになるまでに…

人が、その事(現象)を『解る(理解する)』ようになるまでに…

人が、その事(現象)を『出来る』ようになるまでに…

 

一体、どれだけの時間が掛かるのだろうか…

そもそも、ちゃんと、自身の目の前で起きている現象(その事)を…

『観察』

をしているのだろうか…

 

 

例えば…

 

人の哀しみを例にして

 

『わかる』

 

という事(そのような心の働き)に対して、段階的に岡潔先生が、次のように表現されていた。

 

一応、念のため…

その人が他人の哀しみを『観察する』ことをしなければ(出来なければ)、

そもそも、このような心の働きすら起きないが…

 

 

 

1、感覚的にわかる。

2、形式的にわかる。

3、意味がわかる。(理解する。)

 

そして、何人かが…

 

4、『意義』が解る。

 

ここから、更に、『意義』が解った者が進む心の働きは…

 

5、体取する。

 

そして、最後に

 

6、体現する(出来る。表現する事が出来る。)。

 

 

以上の、6段階、あるいは、6種類の心の働きが在ることを指摘している。

 

参照参考:岡潔、日本のこころ、p183、p184、講談社文庫、(昭和49年)

 

目の前で起きている『現象』や、『コール』に対して、言うなれば外部からの『刺激』に対して

観察をした人は、どのような『反応(レスポンス、あるいは、リアクション)』

をするのか…その上で起きる心の働き…

 

今回ここで、挙げた6種類、あるいは、6段階の心の働きは、

外部で起きている現象や刺激に対して、順に働くとは限らない。

例えば…才能のある者や、子供達の中には、いきなり、

 

6、体現する(出来る。表現する事が出来る。)

というのをやってのけてしまったりする。そういう者が現れたりする(何人か…実際に僕は観ては来た。)。

 

あるいは、(不器用な僕のように)

 

1、感覚的に解り、

他人からの(直接の『会話』、『記事』、『動画』など)『言葉』を通じて、

3、4、『理解』し、『意義』が解ったりして、

これに依って、2の形式的にも解り、

長い時間を掛けて、

5、『体取』し、6、『体現』するに至る

 

このような、長い『道』を歩む者もいたりする。

 

 

あるいは、(再び、不器用な僕のように)

 

目の前で『現象』が起きているのは、解るのに、直ぐには理解できずに、

 

必死になって、『言葉』を探し求めたり、そして、偶然、その的確な『言葉』を探し見つけて、

あるいは、自身で『言語化』をして、

 

ようやく、3、4、『理解』し、『意義』が解ったりして、

 

この世界は…

 

でも、まあ…本当にこの世界は、此処の世界は『疑惑まみれの世界』だ…

本当に、『情報汚染』は日常茶飯事である。

 

『情報戦』

に溢れ、

『事実』や『真実』

は、人々から遠く離れた処に追いやられている。

 

世界中、至る所に為政者達(糞ったれ共)がいる。

 

為政者:(意味)政治の要路にあって、一国の政治を思うがままに動かすことの出来る人

 

『ロシアのプーチン』

『トルコのエルドアン』

『二ホンのアベシンゾウ』

虚言癖、情報操作、情報統制、歴史修正主義、挙句の果ては、権力濫用、

その国の人々に取っては、

『事実』は捻じ曲げられ、『真実』は覆い隠され…

『知る権利』は何処へ…

 

起きてしまった『事実(事件や事故…始まってしまった戦争…)』

興味も無ければ、関心も無い、そもそも、観察もしなければ、外部からの刺激にすら反応する事すら出来ない。

 

仮に、興味も持って、関心の姿勢で、人が観察しても、為政者達は本当に巧みだ…

 

言葉のすり替え…

 

侵攻、戦争という単語(言葉)を、『特別軍事作戦』と言い換えたり

あるいは、

日米安全保障条約体制を、『日米同盟』と呼んだり…(参照参考:東京新聞2022.05.28朝刊社説)

セクハラの事実を、『セクハラの疑惑』と呼んだり…

まあ、この国では、公的な記録、公文書を改ざんしたりなんかして…

 

政治という形態に於いて、

戦争という形態(状態)に於いて、

選挙という形態に於いて、

 

本当にこの世界は、此処の世界は『疑惑まみれの世界』だ…

本当に、『情報汚染』は日常茶飯事である。

『情報戦』

に溢れている。

 

更に、此処に、此処までの為政者達の思惑に、大企業の思惑、それぞれの企業の思惑、それぞれの個人の思惑が、

絡んで来たりする。

宣伝や広告、コマーシャル、其処で、為政者達や大企業の思惑が絡んだりすると、ある意味『最悪』である。

 

『最悪』

の例としては、

 

某放送局の報道番組(ニュース番組)は、存分に為政者達の思惑通りに働いていたり…

 

選挙という形態の度に、新聞広告で、嫌が応にも為政者達の姿を広告上で見せつけられたりする。

 

一政党の党首を決める、この国の、ごく一部の人のための、ごく限られた人のための選挙のはずなのに…

何故か、スポーツ紙の1面を、そのごく一部の人のためのものが、独占していたりする。

(このときは…)一体、何誌ぐらいのスポーツ紙が、

スポーツ紙の1面を、為政者達のために明け渡ししたのか…、

お金でしょうか?

権力で恫喝されたのでしょうか?

スポーツ紙の誇りと矜持は?

えっつ?それとも、その前日は…

ありとあらゆるスポーツ選手、アスリート選手の活躍が一切なかった?

 

僕、個人的には、色々な疑問が沸き上がってしまう。

発信されて来た『情報』…これらに対して…

 

国家、大企業、…個人、新聞で?テレビで?SNS上で?

何処からかは、限定をしないが…型式(メディア)も、限定をしないが、発信されて来た

『情報』

を受け取る側にも問題が在る。

 

『観察』している?

『呼応』している?

『認識』している?

『理解』している?

そもそも、これらの働きを助けている『経験』をしている?

『共感』している?

『共鳴』している?

『誤解』している?

 

あなたの心の働き、感情に依る『バイアス』が働いている?

 

僕の場合は…

国家の挙動、大企業の挙動、新聞、テレビ、SNS上での挙動、…

最近、益々、これらに『懐疑的』になりつつある。

 

それは、本当に…

『事実』ですか?

『真実』ですか?

 

もっとも、『多種』『多様』『大量』に発信され続ける

『情報』

を処理しきれていないという側面も、僕には、あるが…

 

僕の場合は…

 

僕個人は、恐らく、複合的な複雑怪奇な道を歩んでいる。

1つは、柔道、であり、1つは、数学(道)であり、1つは、神道、あるいは、仏道になるのだろうか?

言語化出来ないだけで、他にも『道』が在りそうだ…

とにかく、僕は複合的な複雑怪奇な道を歩いている。そして、

 

此処の『疑惑まみれの世界』でも、そのような『道』を歩いているお蔭で、

そのようにして『道』を歩いているお蔭で

それなりの信頼関係が在る空間の存在は認める。

 

 

例えば…柔道の稽古を通じて、身体にそれなりに負荷を掛けて、

感覚を養い、身体が捌けている事を自覚し、自身の乱取り稽古を通じて、あるいは、

他人の稽古を観察し気付いた事を、言語化して、相手に言葉で伝えたりして、必要に応じて、実演をしたりして…

 

確かな、

『実在(その人と継承されて来た技術の存在)』

を感じたりする。

 

そのような『場(道場)』に立つと、確かに安心したりする。

(本来は、この部分は、7行で済ませるようなカ所でもないのだが…)

 

 

 

国家に、大企業に、…此処の『疑惑まみれの世界』では、

都合が悪ければ、犯罪者の如き扱われたり、犯罪者に仕立てあげられたり…

為政者達が、大企業が、それらに踊らされた個人が、他人を攻撃する個人が…

このような様々な技術を駆使したりしているのが見え隠れしてしまうが…

勿論、このような被害に在っても、

 

『場(道場)』に立てば…

(ああ、そう意味では、此処もまた、1つの『場(道場)』だが…)

そして、冒頭で紹介したような

『良い景色(僕との信頼関係が在る空間の1つ)』

の目の前に立てば…僕の

 

『魂(こころ)』

 

は落ち着く。

 

これまで、そうやって、歩いて来た。

これからも、そうやって、複合的な複雑怪奇な道を僕は歩いて往く。

 

takumaroは今日も往く!

 

追記:

 

『言葉』として、クドイ感じになってしまったが…

あなたが、これらの『言葉』を拾い上げて往けば…

何かの助けにはなるのだろうと感じつつ…

 

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