ゆく河の…「えっと…聞いた事が在るな…」景色を見ながら…ある一節を思い出す
坂東太郎(利根川をみつつ…2021.08.24)
関東平野を西から東に、最後は太平洋へとその水は流れ着く
…
写真の順番で…坂東太郎(利根川)を…眺めるともなく眺める。
「えっと…何だっけ…『ゆく河の…』」
僕自身が所持している外部記憶となんとか接続を試みるが…巧く行かない。
『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。』
僕の中の、最も古くからの付き合いがある友人の一人の
『あいつが』
言って僕に教えてくれた。僕が呟く…
「『…しかももとの水にあらず。』…か…」
気になって、あいつに質問をする。
「原典は?」
「自分で調べろ!!!」
即答の、にべも無い、あいつの回答が返って来る。ここで、普通の人なら、携帯をしているスマホで、
直ぐにしらべるのだろうけれども。そもそも、僕は、『スマホ』ではない。そしてまた…
『携帯を 携帯せずに 日々過ごす 自由気ままに 日々過ごす』
なんて感じの日常なので、よく、師匠達から怒られたりもする。実際に、このときも、携帯せずに、
ドライブに出てしまった。だから…
「いいさ…後で、ゆっくりと調べるさ…」
この呟きに、即座にあいつからのツッコミが入る。
「最近の、お前の『流行り』も、『先送り』かな…?」
このツッコミに、思わず
「ムッ!!!」
としてしまった。
方丈記
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまるたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、
高き、卑しき、人のすまひは、世々を経て尽きせぬものなれど、
これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。
あるいは去年焼けて今年作れり。
あるいは大家滅びて小家となる。
住む人もこれに同じ。
所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。
朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。
知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。
また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。
その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。
あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。
あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。
改めて…零れる呟きの中で…
便利な世の中だ。便利な機能が数多く在る。
方丈記の描きだし部分を観て、唸ってしまう。(以下の赤字は僕の主観が反映…)
『しかももとの水にあらず。』
…
『久しくとどまるたるためしなし。』
…
『これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。』
…
『朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。』
…
『知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。』
…
もとの水ではない。しかし…大河の流れは絶えずして、ゆえに、その水が…
いづかたより来たりて、いづかたへか去る。
…
「そうか…そういう事だったのか…」
改めて、頷く。方丈記の内容は、今、調べて、僕は此処に記している。しかし…僕の本能がそうさせたのだろう。
「ゆく河の…」
もとの水ではないにしても、その水は、『何処かに辿り着く。』だから、辿り着いた先を見に行った。
「『大馬鹿』だものな…」
僕の隣で、あいつは大笑いをしている。
昨日の記憶を辿りながら、言葉の意味と、全体を確認する。
「変わってしまうものもある。」
そして、また、
「変わらないもの…『不易流行』も、また、ある。」
と、そう確認をしたら…
「変わらずに、往くことが、出来るかな?」
あいつに、ニンマリ笑いながらのツッコミを、いつものように、僕は受けてしまった。
様々な、『先送り』の果てに、『コロナ前』には、戻る事のない現実の中で、
『変わらずに往ける処まで往く。』
改めての、誓いをたてつつ
takumaroは今日も往く!