『混沌』とした…世界の中で…

地平線の彼方に…空の彼方に…ある世界は…

何かに付けて、『短気』な僕が機嫌が悪くなる…今日この頃…

 

可能な限り、『そのような人達』とは、関わりたくないし、そもそも、『そのような人達』が『責任のある立場』に就いてしまうのが、恐ろしくも思う。理解に苦しむところであるし、『そのような人達』に票を入れてしまうのも、また、理解に苦しむ。

 

自分よりも強い者に媚び諂い

自分よりも弱い者から全てを巻き上げる

それが、この世の倣い

 

 

何かと、人々の動向、あるいは、システムを返して見る景色、観えて来る景色は、改めて、この事を感じさせる。

 

本当に、潜在的に蓄積された人々の怒りは何処へ向かうのだろうか…

人々とは言わない。僕個人に限定しても、危険だと思う。僕らは、微かに機能しているジャーナリズムとそれを担う

ジャーナリストに依って、その名前を知った。

 

赤木 俊夫

 

僕らは、選択を迫られている。個人的にこれを、『SMA問題』と呼んでいる。あなたは、どうする?

 

S:佐川さんのように…

M:前川さんのように…

そして

A:赤木さんのように…

 

僕らは、選択を迫られている。そして、恐ろしい事実が2つある。

1つは、長きにわたり、その名、赤木さんの名前が伏せられていた事。(『隠蔽するという技術』)

1つは、未だに、これらの情報が、フェイクニュースのように思っている人が大多数存在するという事。(情報の『汚染』)

 

あなたは、これをフェイクニュースだと思う?

 

 

人々の間に、潜在的な怒りが溜め込まれても、その怒りが結集される事はないようだ。

せめて、個人的には、野党が結集して、少しでも、この人々の怒りをより明確な形で、現れる様な社会現象を期待はしたいのだが、悪党たちも、中々、したたかである。野党が結集すれば、可能性はあるが、…その事も、織り込み済みで、

悪党達は、笑っているのである。

 

「面礼腹笑」

 

悪党…自民党の公明党の国会議員達の座右の銘なのだろう。この数年間、見せられた景色は、本当に悪夢である。

『政権交代』という形で、この世界に微かな光を感じてはみたいのだが…

 

この景色が意味するものは…

 

真黒の闇夜ではない。かと言って真昼でもない。暗くもないが、明るくもない。だから、景色が見える。

そして、見える景色を通じて、また、人々の動向を観て、入って来る情報を聴いて、思い知らされるのが、

 

此処(現実社会)が、地獄だという事。

 

 

 

『心が、世界を創っていると…』言った教えもあるが、それにすら、反発を覚える。

 

戦う事をやめれば、楽なのかもしれない。

考える事をやめれば、楽なのかもしれない。

この国の多くのマジョリティー(大多数)に加われば楽なのかもしれない。

 

でも、いずれも、僕には出来そうもない。

 

実は、別件でも、あるコメンテータが書いた本を立ち読みで、少し読んで…かなり腹が立ってしまった。

(そのコメンテータの書いた本の、また別の本は所収していて、読んだことがあったのだが…)

 

なるほど…

 

一切の事を、何もしない!!!

 

という選択も在るわけか…(緩慢な死の選択)…だが、僕もそうだし、殆どの人がそうだと思う。

 

生きて往くために、必要な食べ物を獲るために、そのための『お金』を獲るために、

少なくとも、ある程度は、働かなければならない。

 

その、働くという事にしても…お金のためか?

…あるお笑いコンビのネタである。

 

ツッコミ:「じゃあ…何のために生まれて来たんだよ!!!」

ボケ:「えっつ!?解らないの?『納税のためだよ!!!』」

ツッコミ:「感じが悪いわ!!!」

 

僕は、大笑いをしてしまった。そして、このコンビが、

その後、個人恫喝主義者達から嫌がらせを受けないか心配してしまった。

まあ…少なくとも、僕は『納税』のために、何かをするつもりは、微塵も無い。まあ…

 

「働く」という要素を一度、外そう。残念な事は、働くという事も、含まれてしまうが、

 

何をするか? 何を成し遂げるか?

 

僕にとっては、今まで通りなのだろう。そして、また残念なことなのだが、今更ながらに感じることは、必ず、

 

何をするにしても、必ず邪魔が入る。その行為を行動を食い止めようとする邪魔が必ず入る。

だから、考え続けなければならない。そして、戦いは終わらない。

 

1人の知の巨人が、日本国籍を離れ、鬼籍に移られた。確かに四苦八苦…確かに「生きること」は、此処に含まれる。

その知の巨人が教え子に遺した言葉だそうだ。

 

「生きることって、戦いの連続でしょ…しかも、「苦戦」の連続…」

 

「道」を歩いている人の、道標として、此処に刻んでおきます。

 

 

明るくもない、暗くもない、景色が見える。微かな望みは、其処から、

地平線の彼方に、空の彼方に、光に包まれたような世界を感じること。

其処を『浄土(浄められた大地)』と呼ぶのだろうか…

 

僕は『この世界(地獄のような)』を浄土のように、『浄めたい』と思っている。

『道』はかなり険しいが…

takumaroは今日も往く!

 

 

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