心を穏やかにするために…
『思考』を奪われるとは、『思考』を奪われて往く事とは…
1日、24時間…
1週間だと…24時間 × 7日 = 168 時間
…
さて、この168時間の内、3分の1、つまり、56時間は、基本的には『睡眠時間』になるのだろう。
実際は、現実的には、こんなに寝れないが…まあ、『睡眠時間』も含めた『休息時間』と考えるのが妥当だろう。
器用になると
「(必要に迫られて、あるいは、いつの間にか、そのような技術が身に付き、それを用いて)」
…
この56時間(睡眠時間、あるいは、休息時間)の内の一部を使って、自分のやりたい事が出来るように成る。
僕の場合は、この技術を大学院時代に獲得した。数学に於いて、論文まで仕上がったもの、
学会で発表した数学の内容の、最初の取っ掛かりは、
いつも
『寝ている時』
から始まった。もっとも、この頃の数年間は、本当に自由だった。
大学院時代は、168時間全て、数学に充てられた。異様だし、異常かも知れないか…
ある大学院の時の先輩が、こう言ったのを思い出す。
「…僕らは毎日が『ゴールデンウイーク』だからね!!!」
この言葉を思い出し、これを数字(時間)で改めて、今回、考えて観た。現実と照らし合わせるために。
でも、実際には、168時間全て、誰もが自由には使えない。いや…3分の1の56時間は、睡眠時間という名の
『無』
の時間と考えれば、残った時間は112時間…。この112時間にしたって…
56時間は、労働時間という名の束縛の時間になる。
「現状、無一文で生活が出来るか?」
食べる物をお金で買うにしたって、既に、その段階から権力者たちに不必要にお金を巻き上げられるシステムが
もう既にこの国には出来上がっている。試しに…自分の口から入る物、全てに於いて掛かる購入費用と、
購入する度に巻き上げられて行くお金を計算すると良く解る。5万円、10万円、あっという間に巻き上げられて行く。
そして、僕らは知っている。
「5万円在れば…10万円在れば…」
一方で、それに見合う対価を僕らは獲ているのだろうか…?
まあ…僕の場合は、Noだ!!!
つまり、毎年、『食べるだけのために』、付随して5万円から10万円、ドブに捨てている事をしている。
この悪質なシステムは食べる物だけに掛かるわけでは無い。だから、尚、質が悪い。
ある人達は、そのお金をこう呼ぶ。
『給付金』
と、そして、思考も出来ない人達は、
『やった!!!給付金だ!!!』
となる。でも、お金の流れを考えれば…僕は給付金だとは微塵も思っていない。感じてもいない。
『返金』
である。人から巻き上げた物を返してもらっているだけである。
「(当たり前だろう…馬鹿野郎…こっちは、贅沢をしている訳じゃないぞ…)」
でも、誰も、このような事に気付いていないように僕は思う。
『諦めている…』
あるいは…
『思考が出来ていない…いや、思考する事が出来ないでいる?』
2021年06月16日現在、今の政治家達の立ち居振る舞いを見れば、
今後も、この悪質な社会システムは存続するようだ。でも、
さすがに、食べ物を買わないわけにも行かない。
何故なら、
『生きて往くために』
そして、必要な食べ物を購入するために、働く必要がある。食べ物を買うためのお金を獲るために。
普通の人は、
「(何を持って、普通とするかは、また、別の話にもなりそうだが…)」
あまり、このような事を考えずに生きているかのようにも思える。そもそも、自分1人だけではない。
『子供達がいて、妻がいて、あるいは、夫がいて、父、母がいて、家のローンなんかも在ったりして…』
なので、とにかく、お金を稼ぐことに集中している。残った112時間の半分の56時間を、お金を稼ぐための
『労働時間』
に充てて…
この
『労働時間』
この腐った社会に於いては、1週間の内、40時間が標準時間 なのだろうか…
こんな僕ですら、遂に、この4月から
新聞配達:週3時間×6日=18時間 実際は(20時間に近い)
コンビニ:週20時間
週に40時間近く働くようになってしまった。
でも、それで、豊かな生活か…?
あくまでも、これは、以下は、僕の場合の話だ。
先ず、週に2回、『死』の恐怖を味わう。
ここで言う、『死』とは、思考が出来ない状態の事を意味する。動く事が出来ない状態の事を意味する。
週に2日…その日の労働時間が1日10時間近くになる。その日は、結局…何も出来ずに終わる事が多い。
それでも、抗い、身体を頭を動かして、こうして、パソコンをカタカタ動かすと…
遂には、心臓が痛くなりだす…身体に物凄い負荷が掛かっているので、動かない時は動かない。いや…
実際には、
『動けない…』
事の方が多い。
今の、政治家達がほくそ笑む、ような状態だ。
『動けない事、思考が出来ない事、ただただ、生きるためだけに働いてもらう事』
少なくとも、今の自民党や公明党の国会議員達の立ち居振る舞いは、このように有権者達に求めている。そもそも、
『有権者が有権者である事を忘れてもらうための政策』
それを続けている断行しているとしか思えない。
「説明もせず…有耶無耶のまま、次、そして、また次…」
例えば…コロナウイルス感染症対策に『限定』しても…
アベノマスク…
Go to キャンペーン…(これは、事実上、日本国内中、隅々までコロナを拡大させた…『人災』だ…)
コロナウイルス感染症対策費…
悪行を繰り返す者達は、悪行は止まる事を知らない。 その上で、
このような状況でも、国会は閉会して
「東京オリンピック開催!?(開催されたなら、これは、全世界を巻き込む『人災』となる)」
未来の事を言うと、鬼が笑うらしいが…いや…本当に鬼がこの件で笑ったなら…それは、それで、僕は許さないが。
先んじて、どうやら、オリンピック開催されるようだ。なので、これから、東京で精製されるコロナウイルスを
『Excellent coronavirus 2021 Tokyo - Japan』
と命名しておく。そして…
『新たなこのウイルスに感染した事に依って、亡くなるであろう方々、謹んでお悔やみを申し上げます。』
『悪行』と『戒律』
仏教に三毒と呼ばれる物が在る。それは、『貪』、『瞋』、『痴』、で、それぞれ…
『貪』:貪欲であり、ありとあらゆるものを飽くことなく貪ること。
『瞋』:怒り憎む心の働き。
『痴』:愚痴を言うこと。
というような意味になる(かなり簡単に言うと)。これを踏まえると…
少なくとも、今の自民党や公明党の国会議員達の立ち居振る舞いは、権力という物、国会議員という特権階級に対して…
『貪』
という状態で在り、このような現状を観て、僕が、
『瞋、痴』
という状態で在る事になる。
解っているから、今の自民党や公明党の国会議員達の立ち居振る舞いを見ないようにしているのだが、それでも、
何らかの形で見てしまったり、聞いてしまったりする。僕の場合は、テレビ、あるいは、新聞で、知ってしまったりする。
その度に
『瞋、痴』
という状態に僕は、なりやすい。まあ…少なくとも、僕は
『自民党、公明党、の看板を掲げて国会議員に立候補をする人に、票は入れない。』
彼らが、立場を理解し、身を正し、襟を正す、ような事はしないだろう。今までもそうだし、そして、これからも。
でも、僕は、僕のために身を正し、浄める必要がある。そのために、自分を律して往く必要は常々感じてはいるのだが、
ご覧の通り…機会が在ると『毒』を吐いてしまう。
今一度、改めて、少し復習をして見ようと思う。先ず、仏教に於ける『十悪(行)』とは…
1、殺人、2、盗み、3、淫乱、4、嘘をつく、5、誇張表現を言うこと、6、悪口を言うこと、7、二枚舌を使う事。
8、ケチであり、欲張りである事、強欲であること。9、怒りと嫉妬の心の働きをさせること。10、無謀な行動をする事。
になるのだろうか…
何か…気付くと…これらの悪行をいつも自分がしているように思う。ああ…誤解がないように、
『1、殺人』
の意味する処は、
『命ある物の命を奪う行為』
である。例えば…
「おお…そうか…お前も喉が渇いていたのか…いや…生きるために大変だな…いくらでも僕の血を吸っていいよ!!!」
などのような、大らかな心持には中々成れないでいる。気付かなければ、お互いに幸せ?まあ、気付かなければ、
こちらが、『痒み』という、貰いたくもない感覚を頂戴する事になる。なので、気付いてしまうと…
「僕は大らかな人間じゃないんだ。覚悟は出来ているよね…」
徐に間を取り、そして手のひらと共に腕を振り被る。
『バッシュ!!!』
跡には、その命あった物の残骸が無残な姿で残る。
一体…どれだけの、命を奪ってきたか…
僧侶が『肉』、『魚』を食べないのは、此処に
『命ある物の命を奪う行為』
に触れるからなのだろうか…
僕の場合は、『肉』も『魚』も大好きだ。
僕は、破戒僧!?気が付くと、いつも『破戒活動』をしてしまっている。
『破戒活動』…つまり、戒律を守れていない…という状態になる。ちなみに、仏教に於ける『十戒』とは…
1、生き物を殺さない事。2、盗みをしない事。3、『禁欲』生活をおくること。4、嘘を言わない事。
5、酒を呑まない事。6、午後には食事を取らない事。7、歌舞音曲に触れない事。8、花輪や香料を用いない事
9、高い寝床、広い寝床を使わない事。10、金銭を持たない事。
だいたい…『禁欲』が大変である。気付けば…最近の僕の場合は、10日に1日ぐらいだが…
「旨いな…」
と感じつつ、しっかり生ビールを呑んでしまったりする。
今日も、この後、しっかりと購入してきた『焼き鳥』を食べる。…
中々、自身の悪行を、一時的にでも、止めるのも大変な事である。
何か…他の方法は…
山水草木悉皆成仏(日光にて)
日光、竜頭の滝
(気付いている人もいるかもしれないが、ホームページの背景でも使っている)
日光、男体山(二荒山)
空気が澄んでいて、晴れていると、家の近くから、富士山や筑波山、この日光の男体山が良く見える。
彼らが、どれぐらい前から其処にいるのかは、知らないが、少なくとも、こちらを観ているように感じることもある。
彼らが、僕に何を言っているのかを此処で語ることはしないが。
このような景色に包まれつつコーヒーを啜ると、確かに心は落ち着く。
彼らは、少なくとも僕らよりも清らかだ。
何も考えずに、ただ、僕が
『ボー』
としているだけのような気もするが…これらの、彼らの力を借りて僕が浄められているようには感じている。
「20数年ぶりに…男体山を登るか…」
コーヒーを啜りつつ、竜頭の滝を前にして
takumaroは今日も往く!