均等に分割される時間の中で…

其の『数(24)』を考えて観た。

『時間』…

 

不思議な事に、その『数』は、

1(いち)でも、2でも、3でも、そして、4でも、

均等に分割する事が出来る。

 

そもそも、『その物』を表している『数の1つ』を僕は考えていた。

 

此処で言う、『その物』とは、『時間』の事である。そして、また、この『時間』という物には、

厄介な事に、様々な単位、表現が存在する。

 

秒、分、時間(僕はこれを基準に考えていた。)、日、1週間、1っか月、半年、1年、10年、100年、

56億7千万年…

 

1日=24時間

 

此処を基準に、1週間後、1っか月ご、1年後、5年後、10年後、どうなるか…?

 

あくまでも、以下は僕の感覚的な私見になる。

 

連続的に、一つの事をするのなら、(作業、仕事、読書、…)

その後の、継続性、連続性も、考慮して、1時間、2時間、3時間、そして、続けても4時間…

に留めるのが、一番良い効果が発揮できるのではないか…

 

より、高い目的とそれを実現する可能性を高めたいのなら、

3時間、または、4時間が、良いのではないか

1日をどう過ごすのかは、他人(ひと)それぞれだ。

そもそも、生活のために、お金のために、果ては『個人』恫喝主義者達の言いなりのために…

大抵の人は…1週間で40時間、あるいは、それ以上の時間を働く。

1週間=7日であるから…解ると思うが…

1日に換算しても、かなりの時間を、しかも纏まった時間を(社会では『8時間』か…?)

持って行かれる。

 

『時間』は、可能性だ。『時間』はお金だ。そして、『時間』は命だ。

「100(年)=365×100(日)=365×100×24(時間)」

 

まさかね…100年も時間なんて無いよね…誰もが解っていて目をそらしている事。

もしかしたら、10年も残っていないのかもしれない

『個人』恫喝主義者達の言いなりには、ならなかったし、なれなかったので、

『個人』としての自由は手にしたが、一方で、様々な悪質な恫喝は受ける事となったが…

 

さて…どうしたものか…

 

取り敢えず、3時間と、4時間のせめぎ合いの中、僕『個人』の時間を刻みつつ前へ

takumaroは今日も往く!

 

 

 

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