先ずは、数学のお話から…今、僕らが観ている景色は…
円から始まり…(此処から、お話が始まっている)
円上に異なる2つの点を取り…
点と点の線分(弦)を考えて
新たに別の点を円上に取って
新たにまた別の点Aを取ったのだけれども…
僕らは、ここで、様々な場合という物が考えられることに気付く…
先ず、1、弦BCとは、どのような物が考えられるか…?
次に、2、点Aは、弦BCに対して、どのような位置に在るのか…?
…
考えられる全ての場合を示す必要がある。
それらを、プロセスの中で、見極めることが重要になる。
僕が、示したのは、まだ…場合①のときだけである。
それぞれの点と線分で結んで(ここで、弦に対する円周角が出来て)
意識的に観ていて…その日々の鍛錬(行動)が、無意識のうちに出来るのか…
場合分けをするヒントが、この上図の写真にある。
『点Oが、⊿ABCの…』
『意識的観ていて…その日々の鍛錬(行動)が、無意識のうちに(『観る』ことが)出来るのか…』
僕が、かなり異常なのかもしれないが、意識的に『観る』という事に取り組んでいる。改めて、感じたことは、これが、
無意識のうちに出来るのか…それが、日々の、僕なりの鍛錬なのだと思う。
残酷なお話をする。誰もが、基本的には病気や難病でもない限り、視覚を有していると思う。つまり、
『見ること』
は、誰でも出来る事である。また、無意識のうちにも出来てしまう事である。生まれた時から誰もが出来る事である。そこから、意識して
『観ること』
に取り組んで行くことが、思考の鍛錬になると僕は思う。例えば…今している数学のお話だと…
1、円が最初に与えられている。
2、円周上に先ず、異なる2点を取る。この2点を線分で結ぶ。
3、2で取った異なる2点とは異なるまた別の点を取る。
4、ここまでに円上に取った3点を線分で結び、三角形を考える。
色々な事を言うと混乱するので、上記の通り、1,2、と自身の行動を固定して、
赤で示した3、4について、説明を試みたい。
実は、この3、4、の行動が、出来上がる景色の元になる。つまり…
具体的にどのような場合が考えられるのか?
という疑問に対して、
4の行動で、規準となる出来上がる三角形に対して、円の中心Oが、
(あ)三角形の外部に位置するのか、
(い)内部に位置するのか、
(う)三角形の線分上に位置するのか、
という具合にである。今、僕らが見ているのは、念のために、もう一度言う。今、見ているの場合①は、
(い)内部に位置するときの
になる。でも、数学としてなら、全ての場合を考える必要がある。そして、それぞれの場合において、証明を与える必要がある。考えられる場合は、4つ在る。(5つと言った方が良いのか…)
このような思考が出来るのは、1つ1つの行動を記録しているからであり、更には観察しているからである。
もし、まだ、付いて来ているのなら…数学に限定した上記の1,2,3,4、について、それぞれに、分岐点となる
お話が展開する。念のために1,2で書いて見ると…
1、最初に何が与えられている?(三角形?円?それとも…)
2、もし、1で円を選んだら…其処からどのような弦を考える?
最初に三角形が与えられ、其処から円が出現するお話は、以前、物語として紹介はした。
意識的に『観る』という事により、何処で、お話が分岐して行くのか…その事が解る。
その先で、展開する物も、変わってくる。のも解るように成る。
中心角を図示して…
円周角をαとβで表すと…
中心角もαとβで表記される。(出来上がりの図)
意識的に観ていて…その日々の鍛錬(行動)が、無意識のうちに出来るのか…
ここから(以下は、先週のブログの内容)
出来上がりの図は、8枚目になります。
此処にプロセスを見えるようにしました。
何処から観るか…何処にいるのか…景色は随分と異なる。
しばらくの間、円周角の定理の説明をする予定です。
しかし…
何処から始まったのか…で、こうも景色が変わる物なのか…
お話の『著者』として、現在感じている事です。
多くの場合、僕らは出来上がった物を見せられるし、また、基本、『現在の』『その者(物)』を見る事になります。
そのような中で、改めて、其処までのプロセスや、ちょっとした工夫に着眼をすることは、大事な事です。
どこまで、既知の知識と結びつけて考える事が出来るのか…
どのような、様々な場合が考えられるのか…
どこが、分岐点となるのか…
などなど…
でも、これらは、一連の動作や、流れ、プロセスが解っていて、初めて可能な事になります。
『記憶』を『記録』すること。『一連の動作を見えるようにすること』の重要さが、
此処に在ります。
このような、行動(思考)の果てに、ようやく『真実』あるいは『事実』が
垣間見えたりするのですが…
でも…
僕は、そう言った事ばかりを続けて来たので…
僕なりに感じて、解り切っている事は…
いきなりこのような思考が出来るわけではない。ということ。
また、どんな事でも…
直ぐに身体が自分の思ったように動くわけではない。ということ。
…
『数学』と『柔道』から、改めて僕が感じている事です。
以上は、先週のブログの内容です。此処からが、これに続く今週の内容です。
そもそも、僕の場合は、『意識的に』取り組んできました。
『意識的に』…心がけ…と考えてもらった方が解り易いのでしょうか…
誰もが、最初は『初心者』である事は、間違いありません。いきなり、その事が出来るわけではありません。
なので、出来るようになるために、理解するために、身体が動くようにするために、あるいは、覚えるために、
『意識的に、その事に取り組みます』
でも…これだけでは駄目で、
『意識的に、その事に取り組み続ける…長い時間を掛けて…』
このような経過を獲て、やっと
『無意識のうちに、その事が出来るようになる』
僕の場合の柔道に関するお話ですが、
試合の中で、無意識のうちに出来た技を、意識的に出来るようになるまで、8年…掛かりました。
「本当に、身体という物は、自分の思うように動きません。だからこそ、そのための工夫も、そのための分析も
随分としました。」
また、逆に、柔道の形に於いて、意識的に稽古に取り組み、いざ、形の演武大会の本番中に、頭の中が真っ白になり、
それでも、勝手に(無意識のうちに)身体が動いていました。
その人の意識的な心の働きが、その人の無意識の中で、どのような化学変化を齎すのか…
(その人にとって、長い時間の意識的な取り組みは、勿論、必要不可欠なことです。)
意識的に取り組み、それらが、無意識のうちに…
日々の心がけ、それらを、姿、形へ…
takumaroは今日も往く!
(2020.09.25、記)
追記
仮に…意識的に取り組んだとしても…直ぐに出来るように成るわけではありません。
『意識的に出来るようになるまでにも、時間が掛かります。』
さらに、その向こう側の世界を…当然、更なる時間が必要となるのでしょう…
限られた時間との闘いの中で…