その人に、その人達に出会わなければ…解らないことだらけ…
写真は、柔道の形の稽古で、改めて知り合う事になり、教えを賜りし方に贈った物である。柔道の形の稽古、さらには、その形の演武中に於ける、心構えを教わった。簡単に…
「成程な…」
とは、言い難い。言葉として遺された教えは、稽古の度に思い出される。稽古の度に、その意味、言葉の重さが、重くのしかかって来る。意識し、意味を紐解こうと稽古を積み、なんとなく、それらが意味する世界を感知する。そして…思う。
「まだまだ、『道』の途中か…」
と。
コロナウイルス感染症拡大のお蔭で、僕も例外的な事無く、柔道の稽古そのものを控えている状況にある。というか、ここまで柔道の稽古から離れているのも…多分、数年ぶり…2013年以来だろうか…もっとも、今の僕はいずれにしても、柔道の稽古は出来ないのだが…
そのような、時間的な余裕もあり、この1っか月は僕自身の事に専念し続けている。所謂、
『活動(活かすために動き)』
であり、そしてまた、
『運動(運を動かすために)』
でもある。
このような『活動』や『運動』のために、何人もの、初対面の人と出会った。ああ、勿論、柔道とは全くなんの関係性も無い人達とである。それらの、初対面の人達と、
『お話をして、お話を聴いてもらい、質問をしたり、感じたことをぶちまけたり…』
…
他の人は、どうなのだろう。
『質問をしたり、感じたことをぶちまけたり…』
お陰で、改めて自分が『無知』であった事も良く解る。次に、自分が何をしなければならないのかも、何となく解る。
そして、初対面の人に対してでも…
『感じたことをぶちまけたり…』
改めて、僕自身が
「(本当に…短気だよな…)」
とも思う。ちなみに、僕が改めて解った事というのは、
『無名である事。初心者であること。などなの人が、社会からの支払いを求められる、払わなければならない代償』
がある。という処だろうか…
今更の話ではないか。当たり前の話か…?ここまでにも、これに近い経験は幾度もして来たが…
それも、そうか…
…
『学校の先生になるには…教員免許をとるために…』
『医者になるには、医師免許をとるために…』
『弁護士になるには…』
『車の免許をとるために…』
『柔道整復師の資格をとるために…』
…
『アイドルになるために…』
『芸人になるために…』
『俳優になるために…』
『作家に…作家として認められるために…』
…
お金が、とにかく必要。そして、その活動のサポート体制も必要。そして、時間も必要。
とにかく、先ず自分が出来る事をやって来た。しかし…いよいよ、明らかな『個人の限界』も見えて来た。
『物を描く』
という事、だけに限定してもそうだ。少なくとも、かなり前から、僕の活動をサポートをしてくれる人達を、僕自身が欲しているようにも感じていた。作品としても。文章を書く技術的にも。ビジネス的にも。
お金の使い方にも、大夫、色々あるようだ。しかし…まあ…
薄氷の中を行く。しかも、ほぼほぼ、氷水の中に落ちるのだろう。
求められているのは、氷水の中で…どれだけの時間耐えていられるか。
桜の花道を見て…
さて…辿り着けるのかな…
(いずれにしても、また、色々な事が待っているのだろうけれど…)
takumaroは今日も往く!
追記:『柔道の形の稽古で、改めて知り合う事になり、教えを賜りし方』は既に亡くなられた方だ。今晩辺り、
…
「氷水の中でも、平気で動けるように鍛錬を積み直せ!!!」
と怒鳴りにでも来るのかな?
僕の夢枕に於いて。