『2019.04.01』西暦表記は、個人的に好きである。今日この頃…
何か…世間では年号が発表になり、偉そうな人達の談話が次々と発表されているようだが、
殆んど変化の無い日常生活を、僕『個人』は送っている。
この国に於いて、いつまで『個人』とか『自由』が担保されるのかは不明である。
否…
『個人』とか『自由』は、この国が醸し出す社会生活においては既に無いに等しいし、
法の上に於いても間もなく消滅するのだろうか…
いつまで、僕に、このような発言が許されるのかは不明である。
戦時中なら、とっくに憲兵に射殺されているだろう。
『踏み絵』
を踏むことに躊躇が無い人は、新しい世界、新しい生活が始まっているのだろうか…
卒業、新学期、進級、進学、就職、新社会人、
このような世界に全くご縁が無い。
代償かな…『踏み絵』を踏まない事の…
僕自身が『道』を歩いている事は実感できているから、それも仕方がないのかも。
周囲の景色を観ると、その本質は全く変わらない。
全く変わらない事に、安堵感を感じる事もあれば…
全く変わらない事に、不快感を感じる事もある。
なる程…バランスはそれで、取れているという事か…
と、描きながら個人的に納得した。
本質は全く変わらないのだけれど、安堵感を感じる処で
個人的な気分転換をしたくなった。
という事で、背景を変えて見た。
何処から、その景色を観ているのか…
安堵感を感じる事もあれば、不快感を感じる事もあり。
これもまた、世の倣いの1つかな?
新年号が発表になったらしいが、未だに我、知らず。
2019.04.01に、これを記す。
takumaroは今日も往く!