『闇』の果てに…
『闇』の果てに、『光明』が訪れるのか…
あるいは
『光明』の果てに、『闇』が訪れるのか…
それとも、
『光』と『闇』は共存するのが世の倣い…!?
言葉の意味…(言葉の重さ、奥深さ、前後関係…そして複雑怪奇な心の働き)
日々、様々な『情報』が飛び交っている。昨今の現実社会は、正しく…
『情報化消費化資本主義(社会)』
(参考参照:読売新聞朝刊 2018.1.25、(木) 13面 社会学者、見田 宗介 さんの記事より)
である。これからも、たくさんの情報とともに、たくさんの言葉が生まれては消えて行くのだろう。その中でも、この
『情報化消費化資本主義(社会)』
という言葉は、言い得ていて、個人的にはツボにはまっている。ツボにはまっているだけでなく、
『ゾッとする…!!!』
という心境に近いのだろうか…
GAFA(Google、Amazon、Facebook、Appleの4つのプラットフォーマー)を筆頭に様々な
メディア(新聞、テレビ、ラジオ、雑誌、本、…)が、より先鋭化された
『情報化消費化資本主義(社会)』
を生み出し続けている。
よく考えれば、GAFAも新しく誕生した言葉か…でも、本質はプラットフォーマーというよりは、
新たに登場したメディアだ。そして、メディアだからこそ…
『ジャーナリズム』
としての責任も伴うはずなのだが…既存のメディアですら、
『ジャーナリズム』
としての責任を果たしているのかは怪しい。
念のため…
『ジャーナリズム』:人々に『真実』を伝える。『真実』を提示する。そのような困難を伴う行為。
という意味で僕は使っている。だけども…そもそも、国語辞典は勿論、今、英英辞典でも調べてみたが、
既得権益者達にとって、都合の悪い言葉とその意味はいつの間にか除外されて行くようだ。
残念ながら、
『ジャーナリズム』
に関しては、ほぼ、メディアと同義語、その程度の内容しか書かれてなかった。
さて、メディアが
『情報化消費化資本主義(社会)』
を牽引していると僕は考えている。今回のお話と、関連するが、様々な言葉は、様々なメディアを通じて
知る事になる。その中でも、
新聞記事は、その『情報』に対して、2重、3重のチェック(校正、校閲、チェック、…)が入るという事で
僕は、『ある程度』信頼している。(ここで、『ある程度』と僕が描いたのはジャーナリズムを率先して牽引して来た
新聞というメディアですら、その信頼が(主に権力者の揺さぶりに依り)揺らいでしまっているのが現実である。
例えば…『前川スキャンダル』等…
だからこそ、昨今は、より
『情報リテラシー』
を求められているのだが…
まあ…とにかく、その
『言葉』
を拾い上げる機会は、僕の場合は新聞というメディアに依る処が大きい。その新聞から拾い上げた今回紹介する言葉とは
『知好楽』
である。
この
『知好楽』
は論語に由来する。
『知好楽』(以下は僕なりの解釈):
ある、知識、技術に関して、4つの段階のプロセスがる。具体的には、
その知識に対するその人の中での4段階のアップデートがある。
1、知らない。
2、知る。
3、好きになる。
4、楽しくなる。
そして、その知識とこの4段階のアップデートを比較したときに
1、知らない。(最弱)< 2、知る。<3、好きになる。<4、楽しくなる。(最強)
といった具合に、その知識に依り派生する出力されるパワーに差が生じる。という考え方。
『知好楽』という言葉は、以下の新聞記事より拾い上げた。
日本経済新聞朝刊 2018.11.10 ~「読書好きへの扉」シンポジウム 30、31面~
僕は、この記事の中に出て来た
『知好楽』
に妙に反応をした。
『この言葉は、その知識、技術を会得、体得し、体現するまでの心の働きを述べている…』
先ず、最初に
『知好楽』
という言葉に感じた事である。そして…
前後関係が抜け落ちている…
僕は、そう感じた。ただ、これらは、確かに
『知好楽』
という言葉の外の世界かもしれないのだが…
ここで、改めて、『知好楽』という言葉の意味も含めた
その知識、技術を会得、体得し、体現するまでの心の働きを述べる事
を試みたいと思う。
誰でも、無知よりは、知っている事を望む(その方が有利だから。)。そう感じられるのなら、
直ぐに、『知好楽』のレールに乗れる。しかし…
「無知」、「無学」、「無関心」、「無気力」、「無感動」、「無責任」、…
(これらを、個人的には『無い無い主義』と名付けている。)
このような『無い無い主義』の状態の時は、中々
『知好楽』のレールには乗れない。
誰でも、少なからず、所謂この『無い無い主義』の状態はあると僕は思っている。
…
あるときは、『無気力』であったり、また
あるときは、『無関心』であったり、など
…
これらは、
『知好楽』
の前の話になる。いきなり『知る』という事が起きるわけではない。ある人は、偶然にも
『好奇心』
という心の働きを手にして、『知好楽』のレールに直ぐに乗るのかもしれない。
ちなみに、僕の場合は、計り知れない…
『無い無い主義(先に上げた、様々な『無○○』の単語が心の中に並んでいた。)』
以下は、いつもの僕の独り言である。これらの6行は飛ばした方が読みやすい!?
「(これを、『無明』とでも呼ぶのだろうか…他人が見ると、何でそんな事で…思うかもしれないが、本人にとっては
『無明』の状態の事はよくある事なのだろうか…久々に先日、他人の『無明』を垣間見た。その本人は、
『見た目の立ち直り』
まで3週間掛かった…)」
話を元に戻して…
の果てに、ようやく『知好楽』のレールに乗れた。しかも、好奇心で僕が動いたわけではなく…
『奇妙な外部からの働き』
に依るものだった。
それに、『知好楽』のレールにしても、その通りにレールが進むとは限らない。
1、知らない。
2、知る
3、好きになる。
4、楽しくなる。
…
僕の場合は、この4の心の働きが、どうも人とは違うようだ。僕の場合は
『知好学』
といった感じだろうか…いや、正確を記するのなら、3、4、の心の働きがおかしな時が在る。
3、4、の心の働きは複雑怪奇だ。全ての心の働きを
『愛』
と表現をするのなら(僕がこの表現を使う事をどうか許してほしい…)
『知愛学』
と言った方が、より僕の現実を表現はしている。
…
話は、まだ続きがあって、
『知好楽』、人によっては、『知好学』、あるいは、『知愛学』…
と言った心の働きに依り獲得した『知』をどう継承するか…
という恐ろしい問題が遺っている。継承という問題は、何処でもやはり…問題にはなる。
例えば…
『知』の継承を、時間軸で考えると…当たり前のように、時間軸は分断され
『感(あるいは『勘』)』の継承を、全ての人で考えると…ほぼ、不可能な事であると認識され…
…
心の働きに依り獲得した『知』をどう継承するか…
これが、『知好楽』の後の話になる。
…
他の人の心の働きは、正直に言って、僕には解らない。大半の人は、いつの間にか
『知好楽』のレールに乗れる。のだと思う。ただ…僕のような少数の人のために…
『無い無い主義『?』』
を僕は勧める。
確かにピンチは、チャンスでもあり、アップデートの機会でもある。と思う。簡単な事だ。
具体的に…全て疑え「?」ば良い!
…
知っている事なのか?知らない事なのか?
学ぼうとしているのか?
関心はあるのか?
気力はあるのか?
感動はあるのか?
責任を全うしているのか?
…
といった具合に…
ここに未来への希望を託すことにしよう。(託すしかないのだけれども…)
今日もまた、個人的な遺志を此処に描いた。
takumaroは今日も往く!
(追記)
『闇』は簡単に訪れる。解っているのか…解っていないのか…それとも、言葉にしないのか…諦めているのか…
『無い無い主義』は跋扈している。
…
『無知』で、『無学』で、『無関心』な有権者と、
保身しか考えていないという意味で、煩悩の塊りで『無責任』な政治家との
関係性で成り立つ、どこかの国のように…
…
『闇』の中の『光明』!?
『闇』の中を歩いて往くのだから、
『『当り』をつける』
ぐらいの事はして往かないとね…