僕の思考に…僕の性格に…あるいは、僕の行動に…問題あり!?
「お前…いい加減…靴を買い換えろ!」
勤務先の新聞店の主任から、『小言』を戴く。止せばいいのだが、大抵の場合、この類の様々な『小言』に対して
余計な一言を言ってしまう。
「(おっしゃっている意味は解るのですが、でも僕の中では…)十分…『靴』としての『機能』は果たしていますよ!」
誰もが、そうだと思うのだが、冗談で言っているのか…本気で言っているのかは、直ぐに解る。質が悪いのは、
本気で言っている場合であろう。僕が言うのも何なのだが…
主任は、呆れながら、かつ、怒りながら
「誰が見ても、ボロボロの『靴』だろう!」
これに対して…
「いや…ですので、『ちゃんとテーピングで補強をしております。』これで、靴としての機能は果たします。」
「…」
さすがに、もう返す言葉も出て来なかったようである。
「これを、履け!」
後日、この『小言』を戴いた主任から『靴』をプレゼントされた。この靴の写真を新品の状態で撮って置けばよかった。
この時に、プレゼントされた『靴』も、此処にある写真と同格のレベルに昇格を大夫前にしている。
ただ…最近は、僕は『靴』を仕事以外では履かない。その仕事中に『靴』を履き続けているのは…やはり…
何度か…別件で『小言』を戴いたからである。
「(めんどくさいな…)」
ともろに顔で語りつつ…仕方がないので、仕事では『靴』を履いている。
基本的には、僕は普段、サンダルを履いている。
サンダル履きの日常生活スタイルだから、当然、靴下も履かない。
これまた…仕事以外での『別件』なのだが…普段から靴下を履かないので、
『その時だけ…』
靴下を履くつもりでいたら、先生達に怒られてしまった。この時も大夫…『小言』を頂戴したが、
先生達が言っている事もあり、また、珍しく僕も納得はしたので、先生達に迷惑が掛からないようにという観点で、
ある特定の時だけ、僕は靴下を履いている。
『特定の時だけ、僕が靴下を履く。』
という事が先生達に認知されてから、ある先生に
「takumaroさんは、普段『靴下』を履かないの?」
という改めての質問と、加えて人が天然記念物を見るような顔を先生達より頂戴した。
僕の思考や行動と、それから、世間的な物事との間には、かなりの隔たりがある。(…ようだ。)
また、いずれにしても、人は、『先ず足元を見る』という事なのだろうか… (…確信は無いが…)
個人の思考や行動と、それから、世間的な社会的な物事との間には、それなりの隔たりがある。
これを『麻痺』とでも呼ぶのだろうか…
数年前より先生達と出会い、所謂『勉強』を僕はしている。
「今後は、しばらく『勉強』もしないと、(先生達より)怒られるからな…」
takumaroは今日も往く!
(補足:僕の中での言葉の意味は…)
「勉強をする」
という意味とほぼ同意味の言葉に、(という具合にそれぞれニュアンスがある。)
「修行をする(自分自身をさらに進化、あるいは深化させる。あるいは高める。)」
と
「稽古をする(今、自分がしている事を通じて、その道の先人達の教えを意識すること。)」
がある。
ちなみに、この形式で描くと
「勉強をする(自分と他人、自分と組織、さらには、自分と社会…というのは、基本的には違ったり、
異なったりするのだから、改めて、自身のその調整やバランスを取る事。)」
となる。
と、僕なりの言葉の意味が獲られた。
この意味で、確かに僕は勉強不足である。(勉強などして来なかったのだから)
確かに、僕は問題児のようだ。