あの、空海は言っている。…
『ああ、自宝を知らず、狂鳴(きょうめい)を覚といえり。愚にあらずして何ぞ。』p18
『それ、境(きょう)は心に随いて変ず。心垢るるときは即ち境濁る。心は境を逐いてうつる。境閑かなるときは
すなわち心朗らかなり。心境冥会して、道徳玄存す。』p24
キリが無くなりそうなので、後一つだけ…
『物の興廃は必ず人による。人の昇沈は定めて道にあり。大海は衆流によってもって深きことを致し、
蘇迷は積塵を待って(周山に超え)もって高きことを成す。』p78
ここで、僕が、僕自身の言葉で『上記の太字の青』
の言葉の意味を説明すると…一部は多分、僕のそれは空海のとは異なる。
『自宝』…人々から愛されている、その人の個性。その人の立ち居振る舞い。(愛が無ければ『自宝』ではない…)
『境』…その人を取り巻く(人間関係、仕事、育ち、住んでいる場所、生き往く場所…と言った
ありとあらゆるものを含んだ意味での)環境の事。
『道』…上記の『境』の中に於いて、その人がどう生きて往くか…という事。僕の場合は、
その人が、名利、欲得、煩悩まみれ、だったとしても、それも、その人の生き往き方と考えているから、それも、
また『道』となる。勿論、そのような人は僕の軽蔑の対象ではあるが…
僕自身はそう成らないように、気を付けてはいるつもりなのだが…
さて、これらは、以下の本からの引用になる。勿論、上記緑太字は僕の言葉だが…
以下の本は、僕の座右の本の1冊でもある。
僕の座右の本
「『空海』~日本人のこころの言葉~ 創元社」
(この類の本が、シリーズ化されている。これは、その1巻目に相当。これ以外にも僕は何冊か所収。)
さて、ここまで準備をして本題に入ると…
『境』の中に於いて、確かに、僕は、この『自宝』の多大なる影響により、確かに、様々な『景色』を観続けている。
確かに、僕は『道』を歩き続けているようだ。良くも悪くも…
そして、僕も例外なく、しっかりと名利や、煩悩、欲得…等と呼ばれるような心の働きがしっかりとある。
少し、言葉の説明をすれば…ここで言う名利とは…
『オリンピックで金メダルを取りたい!』
というような、アスリートが抱く心の働きの事である。さらに、詳しく言えば、僕は柔道をしている。その柔道も
勿論、オリンピックがあるが、実は、これ以外にも、さらに、さらに、詳しく言うと柔道において
県大会、勝ち上がって、関東大会、勝ち上がって、全国大会、ここで全日本チャンピオン、あるいは、それに準ずる成績を残して!?そして、世界大会…へと、通じている大会が在る事を、僕は本当に最近知った。
『柔道『形』競技大会』
(これは、柔道に於いて制定されている『形』の演武を体操競技のように点数化して競う大会)
と呼ばれる大会の事である。で、ここまでを改めて整理して、今の僕の立場に置き換えて説明を与えると
『柔道の『形』競技大会の世界チャンピオンになる。』
という事であり、そのための、最初の階段として
『柔道の『形』競技大会の県チャンピオンになる。』
という事になる。これは、完全な『名利』である。僕自身も、それは解ってはいる。しかし…
話が、様々な観点と交錯するが続けると、こうして言っている以上は…しかも不特定多数が見る事が可能な公に対して、
宣言している以上は、それだけの事をやっては来た。そして、今回の最初の階段の柔道の『形』の競技大会の県大会に
出場をした。
…
『結果は負けた!』
…
先ずは、僕が、この事実を受けて観た景色の一部を描くと、僕は、改めて僕の相方を務める先生の凄さを感じた。
僕自身が、とんでもない(実際は少し、違う。それは、このお話の中で多分、明らかになる。)、
『怒り、屈辱、侮辱、憎悪、…』
等々と言った、余り宜しくない感情が噴出しつつあるのに対して…
(正確には、現在の半分の心境。残りの半分は…話の続きで…)
柔道の形の競技大会の閉会式の時に、僕の隣にいた相方の先生(僕と一緒に形の演武をした)の顔を見たら、本当に純粋に
『ニコニコと純粋に笑っていた。』
その姿を見た。
「何故なのか?(何故、純粋に笑っていられたのか…)」
今回のお話は、多分、この疑問に僕なりの解答を与える物になるのだろうか…
「何故、笑っていられるのだろうか…?」
多分、というか、僕の予想なのだけれど、隣で並んで閉会式に臨んでいた僕の顔を見たからなのだろうか…
『そもそも、景色という物は、立場や視点が変れば、観る人が変れば、
これに合わせて、見え方(観え方)も応じて変わる。』
要は、そういう事だったのだろうか…
現状を簡単に説明をすると、柔道の『形』の競技大会の全ての参加した組(取りと受けのペアーの)の形の演武が終わり、
柔道の『形』競技大会の閉会式となった。そこで、最初に成績発表になったのだが…その成績発表の結果を受けて
僕の顔が…悔しいというような、感情ではなく…結果を聞いて
『はっつ?』
あるいは、
『えっつ?』
というような、多分、僕自身がリアルタイムで鏡を使わない限り、自分の顔の表情は確認は出来ないのだが…おそらくは
僕は
『鳩が豆鉄砲を食ったような顔を…』
をしていたのだろう。さらに、ここでのポイントは、現実に起きた事は
『鳩ではない、人(人間)が、豆鉄砲を食ったような顔を…』
を其処で見していたわけである。それは、確かに視点が変れば、それなりの景色だったと思うし、勿論、
僕自身の立場で、そういう顔をしてしまうだけの理由は在ったのだが…まあ…角度を変えれば、かなり笑えたのだろう。
多分、僕でも笑う。まあ、僕は、僕自身の顔をリアルタイムで確認は出来なかったが…
思い当たる節はある。閉会式が終了した後に、しっかりと
「なんか、放心した『顔』をしているよ!」
と極め!の方Eさんに、ツッコまれていた。ツッコまれていた。と僕がここで描いたのは、
僕からは、遠くから聞こえている声。という認識でしかなかった。まあ…この日は、そもそも、やたらと僕は
遠くから聞こえている声を聴いていた。これもこれで、そういう景色を醸し出していたのだろう。
今回は、沢山の当事者達もいる。僕も、改めて断言出来る事は、多分、中々の
『話のネタ!』
を今更ではないが、改めてリアルタイムで周りの人達に提供をしたのだろう。そして、話のネタが提供できたのも
僕が『道』を歩いていて、僕が『自宝』を発揮しているから
要は、そういう事だったのだろう。今更ではないが、改めてそういう事が起きた。
この写真は、『形』の競技大会の閉会式が終了をした後に、買ってはあったのだが、食べる余裕が無かった昼飯のおにぎりを
武道館のロビーで食べている時の写真である。僕の柔道の師匠の1人である『レスラーO先生』が、突然…
「せっかくだから、写真を撮っておこう!」
と言って、やはりニコニコしながらスマホで何枚か撮影をした。『レスラーO先生』の側から観える景色も、
それなりの景色になっていたのだろう。写真は、LINEに送られて来た物を…5日後になって、初めて僕は観た。
そして、僕も僕で、行動する。
「せっかくだから、『此処に記念に』この写真を遺して置こう!」
まあ、少なくとも、僕がこの日の事を忘れる事はないだろう。(僕に、こういう日がやたらと多いのも困った物なのだが)
「えっつ?僕の『性格』に問題がある!」
あなたの、指摘は多分…当たっている。悔しいけれど…
takumaroは今日も往く!