作品名:『柔道曼陀羅』
2018.02月中旬頃、作成
柔道曼陀羅(文章版)
我、この道に於いて、基本となる五行を漸く獲たり
その五行とは
…
一つ、総体『柔』らかく、臨機応変に対処、対応し…
一つ、その『道』に辿り着き、その『道』を歩み、その『道』を切り拓いて往き…
一つ、遺された『形』を知り、その『形』を会得し、その『形』を伝えて往き…
一つ、千日の稽古、『鍛』を積み上げ、万日の稽古、『錬』を成し遂げ…
一つ、何れかの機会ある毎に於いて、これらを『修』め続ける…
…
これが、五行なり
…
一代では、成し獲なくとも、道を示し、道で背中を見せ、道を継ぐ者へ託す
…
『自他共栄』、『精力善用』
遺された二つの言葉を手掛かりに
…
五行を積むため、今日も往く
柔道曼陀羅(『背景』と『作品』の解説)
日々、僕は気ままに『心』赴くままに生きて往く事を繰り返している。なので、基本、僕の『心』が動く事がなければ、まず、僕は動かない。よく…
「takumaroさん…なんか、また(作品を)『描いてよ』!」
と言われた処で、『作品』は『描けない』のである。実際に『作品』が描ける時には、
機縁と時機が重なる。(他にも、何かが重なっているのかもしれないのだが…感覚としてしか、僕には解らない。)
もう少し、言葉の説明をするなら、ここで言う
『機縁』とは、柔道を通じて出会った人達との『縁』の事を意味している。
『時機』とは、僕は、ようやく…少なくとも柔道を通じて出会った人達からの信頼は獲たのだろう。
…
いや、残念ながら僕の本質は全く変わってはいないのだが…
…
数年前に柔道を再開させて、1年程過ぎた頃に、知り合いになったある柔道家(今は友人)から…その日の稽古が終わり、
まったりとしている処で(この時間帯の事を、『おっさん達の座談会』と個人的に呼んでいる。)
「今度、合コンでもしませんか?」
と誘われた。で、即答が僕は出来なかったので、
「う~ん…1週間…考えさせて下さい。」
このときは、そう答えた。
で、1週間後の同じような稽古の後のまったりとした空間の中で、同じ質問がやはり来た。結局、僕はこう応えた。
「合コン…やらないで結構です。」
その方は、凄く驚いて、
「えっつ!?何で…ですか?」
と質問されたので素直にこう答えた。
「今は、柔道だけしていれば、十分です!」
その柔道家(今は友人)は一瞬
「(はっつ?)」
というような顔を見せ、しばらくしてから大爆笑をしだした。
「(何か可笑しなことを言ったか…?)」
笑いが収まってから、その柔道家はこう応えた。
「もっと、人生を楽しんだ方が良いですよ!!!」
そう言い切ってから再び笑いだした。
…
もう5年以上前の話である。でも、その時に、その友人に言われた言葉はしっかりと僕の中に残っている。
「もっと、人生を楽しんだ方が良いですよ!!!」
僕の心が、
『人生を楽しむ』
ように動き出したのは、本当に最近である。逆に言うと、その友人が言った言葉の意味が解るまでに5年近く
掛かってしまったという事になる。多分、その友人がこれをみたら
「本当に…相変わらず…『頭が固い!』ですよね…」
と言い、そして笑うのだろう。まあ、これは、その友人だけではない。少し、追加補足すれば、
『頭が固い!』
とか
『話が長い!』
とか
『相変わらず面白いよね!』
等、出会った柔道の師匠達にも言われる事である。
『場』が出来上がって…自分の居『場』所を再び見つけて…その中で、再び、
『僕』という個性を発信していく。『僕』という個性を発揮していく。ただ、問題なのは…
『僕』という個性の中に、『精神の自由』が大きく介在していることなのだろう。
故に、『僕』と『社会』は益々解離していくのだろう。年々、距離が離れている事を僕自身でも感じる。
この、『精神の自由』は、数学を極めて往く過程で僕自身が獲た物だ。僕個人では、大事な財産だが、
これを、もう…この国のような『社会』では、僕は人には勧めはしない。この国は、
『精神の自由』
を持つ者の存在を認めてはいない。(…少なくとも、僕はそのように感じているし、そのように考えられる景色を
個人的にも他人的のも、幾つも見て来た。し、今も現在進行形で、様々な処でこのような景色は展開をしている。)
…
「もし、あなたが、社会的な評価と立場を獲たいのならば…」
僕は、
『大きなすり鉢』と『大きなすり棒』を使った、
『調理方法』をマスターする事を、本気で人に勧める。
「(手に職を…とは、本当は、こういう意味なのだろう…)」
僕が、現実を見る限りでは、
所謂学校で、勉強する『国語』、『数学』、『理科』、『社会』、『英語』、…と言った教科の
『勉強(僕の、ツイッター上でこの言葉の意味は提示してある。)』
よりも、大事で重要な事なのだろう。
「先生(達)に、気に入られなさい!」
「先輩(達)に、気に入られなさい!」
「仲間(達)に、慕われなさい!」
そのための、技術を会得しなさいと…
公平性を保つために少し補うと、
僕は、『精神の自由』という言葉を用いているが、ある意味で僕は『社会不適応者』でもある。
つまり、あなたは、あなたでどうするかを決めればいいのだ。
『社会適応者(生きる屍として、力ある物に搾取され続けるか…)』になるか…
『社会不適応者(僕の言う『精神の自由』を獲得するか…)』になるか…
話を戻す。では、『精神の自由』を会得した事に依って、失う物ばかりなのか…というと、そればかりではない。
ありきたりの『表現』だが、それなりに獲た物も在った。少なくとも、
『精神の自由』
を持っていたからこそ、『場』が出来上がって…自分の居『場』所を再び見つけて…そういう事が出来たのだ。
だから、この『道』を歩き続ける事が出来たのだ。
そして、また、
僕の本質は全く変わってはいない…という事にも、自身で明確に気付けたのだ。
もう5年以上、物理的な時間の経過があるのだが、未だに、僕は
「…柔道だけ、していれば、十分です!」
という状態にある。
…
というか、5年以上の時間の経過で、益々柔道にのめり込んでいる。
週2日の稽古が…週3日、週4日…となり、今は、週5日の稽古となり…
僕の(公的な)所属である柔道クラブの方では、今年の1月から正式に指導者として迎えられ…
所属している、事実上の稽古をしている場所も、実質、3カ所で稽古をしているような状態になっている。
先日、とある稽古場所(3カ所の内の一つ)での稽古が終わり、その後の雑談で、其処へ子供達と一緒にいつものようにやって来るお母さんが、この時に…一言呟いた。
…
『此処は、柔道『馬鹿』が多いからね…』
…
5年前(正確にはほぼ6年前にもうなる…)に、僕は、親父に質問をした。
柔道を再開する前の話である。
「…強く成るには…どうしたら良い?…というか、そもそも、『強い!』とはどういう事なのか?」
この時の親父の回答は本当に早かった。なんという…反応の良いレスポンスなのか…
「『馬鹿』になる事だ!」
「『馬鹿』になる…?」
親父に比べて、当時の僕は、完全にレスポンスの機能が損なわれていた。僕は、あらゆる意味で完璧に壊れていた。
自身の中にある、たくさんの意識と無意識とで織り成す、現実世界とは離れた、別の世界に行ってしまう事が多かった。
「(…今も、そうか…)」
ただ…僕の外で、何かが起きている事だけは、感覚として解った。
そもそも、僕の目の焦点は合っていなかったのだろう。最初に僕が親父に質問をした時から。
僕に噛んで言い聞かせるようにして、親父は続けた。
「夢中になって、その事に打ち込めばいい!!。ただ、1つの事に打ち込めばいい!!!」
僕は、僕の外で、起きている何かを確認しようとする。
「…夢中になる…1とつの事を打ち込む…」
これらは、5年以上前の話である。
…
「(柔道『馬鹿』が多いからか…)」
この時に、僕の視界は、『業師K先生(僕が付けているあだ名)』と『極め!の方Eさん』の2人を先ず捉えた。
『業師K先生』は僕の柔道の師匠(の1人)であり、『極め!の方Eさん』はこの道で出会った友人になる。
そうか…今(このとき)、僕の視界に居る人達は、皆、この道で出会った人達だった。
あなたに、断って置きたい。僕が人に出会ったのは、僕が
「『道』に辿り着いたから!」
に他ならない。
僕は、今現在、実質3カ所で柔道の稽古を積んでいる。僕が不思議だな…と思うのは、同じ『柔道』のはずなのだが、
どうも、それぞれ雰囲気が異なるようである。そして、子供達のお母さんが言った一言
…
『此処は、柔道『馬鹿』が多いからね…』
…
僕は、僕で、少なくとも2重の意味で納得をしてしまった。
ここまでの藪漕ぎのような歩みを振り返り、そして、今後、この道をどう歩んで行くのか…
今後の僕自身のために、また、今回の機会に便乗して
『柔道曼陀羅』
を描き遺した。そもそも、『曼陀羅』とは、人はその一生を、どう生きて往くべきか、幾度も繰り返される修行の様を、
様々な形式で、仏教に載せて表現をした物。あるいは、そのような表現形式。を意味する。
今回、僕が描き遺した作品は、僕自身の感覚で『曼陀羅』という表現形式に則っていると感じた。それ故に
作品名を
『柔道曼陀羅』
と定めた。
「この道に辿り着こうとする者への、あるいは、この道を歩もうとする者への、道標に!」
『柔道曼陀羅』(文章版) + 『柔道曼陀羅』
の両方で、そのような効果も僕は期待をしたい。
「(基本としては、少数派の『馬鹿』に対して…という意味である。)」
緑の台紙に描いたのは、畳の上で…という意味。
赤で描いた升目は、その畳の上で、血のにじむような努力を、五行に於いてする…という意味。
やがては、その五行に於いて、それぞれが、行を積んだ報いに応じて光を放っていく。…という意味。
遺された2つの言葉、『自他共栄』、『精力善用』、これらの言葉の意味を紐解く事が、さらなる五行の深化に繋がる…
という意味。
作品タイトルを『曼陀羅』としたのは、遺された言葉は、あるいは、あなたが必要とする言葉は、
他にも無数にあるという意味…
これが、不特定多数の共有財産になるのかは、不明だが、少なくとも、
少なくとも、これらは僕個人が柔道を再開して体得した財産の一部になる。
さて、今日は僕は喋り過ぎた。でも、機会が在ったから描けた。そもそも、機会がなければ、この性格である。
作品を描く事もしなければ、ここまで喋る事もなかったのだろう。念のため…
『あなたは、あなたで、どうするのか…あなた自身で決めて下さい。』
takumaroは今日も往く!
(補足)
『精神の自由』という言葉は、以下からの引用。
日本経済新聞朝刊 2018.03.16(金)
Deep Insight:巨大デジタル企業の独占を許すな
著:ジョージ・ソロス氏(米ソロス・ファンド・マネージメント会長)
(追記)
本作品
『柔道曼陀羅』
は、時機が来て、機会が合って、描けた作品になる。
…
あいつが、僕に話し掛けて来た。
「少しはさ…社会貢献をした方が良いんじゃないの?」
「社会貢献?」
「社会貢献出来るでしょ…そういうコミュニケーションツール(技術)を獲得しているじゃないか!」
「…成程…そういう事か…」
人との、コミュニケーションというのは、本当に僕にとっては難しい。昨今は、本当に物凄い深化と進化が同時に
進行している。
「良い意味でも…悪い意味でも…」
様々な、コミュニケーションツール(技術)がある中、SNS上において展開する技術の一つである
『Jimdo』
を僕は獲得した。あなたが見ている『これ』は『Jimdo』に依り作成している。具体的には
ある程度のホームページを作成するのに、『無料』で作成する事が出来る。
「僕は、思う処あって、有料版を使っているが…」
要は、『Jimdo』というソフトを使いこなす技術を獲得すれば誰にでも出来る。
…
「此処のホームページ、作成しませんか?…するつもりなら、僕がやりますけれど…」
…
僕の細やかな『社会貢献』である。いや…違うか…
…
『此処は、柔道『馬鹿』が多いからね…』
…
『士は、己を知る者のために死す』
だったと思うが、まあ、人を動かすのは、やはり、人である。さらに、今回の場合は、
「馬鹿のために、馬鹿が(正確には『大馬鹿』)動く」
という事が起きた。
…
師匠の1人が言ってくれた。
「良いね!!!」
僕は、皆に質問をした。
「ホームページのタイトルはどうしますか?」
僕のたくさんいるその場に居合わせた師匠の1人が応えた。
「『ジュウドウカタレンシュウカイ』…というのは、どうだい?」
僕が、大馬鹿である理由の一つが此処にある。通常は…
「『柔道形練習会』…というのは、どうだい?」
と、認識をするのだろう。しばらくしてから、僕も、これに近い認識に至る…
「『柔道』・『形』・『レンシュウ』・『会』…」
この辺りが、僕と社会との辛うじて存在する僅かな繋がりなのだろう。ここから僕の場合は、どちらかというと
社会と乖離する方向に動くことが多い。この場合だと
「『柔』・『道』・『形』・『レン』・『シュウ』…」
そして、さらに、今の僕が求めている物、必要としている文字を探しに、僕が動く。そして…
「『柔』・『道』・『形』・『錬』・『修』…」
さらに、一つ一つの文字が意味するものを紐解きに掛かる。
そして…
「大馬鹿の自己紹介はそれぐらいにしとけよ…」
…
あいつに、ツッコまれてしまった。物を言う時は、『結論』あるいは、『結果』を先に言うのが常道なのだが、
今回のお話は…全くの逆になってしまった。
いつもの事か…僕の場合は…
本作品
『柔道曼陀羅』
は、時機が来て、機会が合って(機縁となる人との出会いが在って)、描けた作品になる。そして、
その作品は、以下のホームページの看板に使用している。
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