「『形』に拘ってみました。」
いや、だから、
「『形』に拘ってみました。」
…
観る場所が、この場合は見る場所かな?が解れば、あなたは、頷くかもしれないし、あるいは、大爆笑をしているかもしれない。『描く』と一言で言っても、実に様々な描き方が在る。もう少し、踏み込んで言えば、
『情報の発信の仕方』
という事になるのだろうか。
つまり、ツイッター上で、
…
「『形』に拘ってみました。」
と書かれたところで、あなたは、
「はあ~?」
となるだけだし、そこに、追い打ちをかけるように
「いや、だから、「『形』に拘ってみました。」」
と言われた処で、改めてあなたは、
「はあ~?」
となるだけだし、もしかしたら、物凄くイラついているかもしれない。
ただ、もしかしたら、僕の言っている意味が解り、観る観点を変えて、改めて眺めて観たら
「おお…」
と成るかもしれないし、もしかしたら大爆笑をあなたはしているかもしれない。
一口で僕は
『情報』
と良く言うのだが、本当に厄介な代物だと、改めて僕は思う。基本となる扱い方は
『情報』の…
1、発信の仕方(今回の話、僕の立場で)
2、受信の仕方(今回の話、あなたの立場で)
3、共鳴の仕方(あなたの立場で、面白い、つまらない、ムカつく…等々)
4、遮断。(そもそも、あなたに、情報が届いていない。)
の4つがあると僕は考えている。
『本当に、恐ろしい世の中になったよな…(情報の…)』
(勿論、この上記のは僕の感じ方です。)
そういう僕の感じ方もあって、また、同時に、情報の発信の仕方や、
僕自身の『描く』鍛錬もあって、
ツイッター上で、纏まった世界を構築できるのか…
という事を現在進行形で試みている。
という一括りで呟きをまとめてはいるのだが、気付いている人はいるのだろうか…
僕自身の『描く』鍛錬もあるけれど、どちらかと言えば『警鐘』を込めているのもある。
勿論、その中で、ユーモアも忘れずに織り込んで…とか
何かと、僕自身の『形』に拘って、僕は今日を往くようであります。
ここからは、余談。
『情報の発信の仕方』や『描く』という技術、そう言った手法は、確かに無限にある。(ようだ。)
しかも、それぞれの手法が、物凄く、奥深かったりする。
今回は、久々に『書』という『形』で、『形』を示したが、(こう言う描き方がくどいか…)
途中で、物凄く嵌ってしまった。具体的に言うと、
『書』
としての、筆の運び、そして、作品を描くための紙、この2つになる。
作品を描くための紙は意外と高い。1枚35円~51円の紙を僕は使っているのだが…
いきなり、高価な紙に描くわけにもいかないので、基本的には新聞紙で、僕自身の入念な準備体操をしてから
何か作品を描くようにはしているのだが…
『紙が変れば、筆の運び(捌き方)も変わる…』
勿論
『筆も変われば、改めて、その筆の運び(捌き方)が求められる。』
言うまでも、無い事なのだが、中々、『弘法』のようには、行かないのが現実。
やはり、その筆が身体に馴染むまでには時間が掛かる…
今回の作品のために、新品の筆を用意した。
作品は、完全な見切り発車である。時間もあるし、何よりも、
必要に迫られて『描いた』というのが現実になる。
だから、言うのか…
『書道』
と。たくさんの『道』が在る中で、僕自身が必要だと感じた『道』は、基本的には、僕は歩くことにしている。
僕自身が、僕自身の感覚で、『道』という『形』に気付いたのなら…
もっとも、僕も完璧ではない…
『道』
と気付かずに通り過ぎた事もかなりあるのだろうな…
takumaroは今日も往く!
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