『業師K先生』達への報告レポートも兼ねつつ…
実は、この写真の2人は、今日(この日)
初めて出会った2人である。彼らの様を見て
「不思議だよな…」
とも感じるし、また、一方では
「まあ…当然の成り行きの事か…」
とも思う。
ここで言う、
「不思議だよな…」
と言った感情や感覚は、大半の人が抱く感情や感覚である。
だって、本当に、この日初めて出会った2人なのだから…
後半の
「まあ…当然の成り行きの事か…」
という感覚は、多分、幾つかの特別な条件があるからなのだろう。
そのうちの一つは、僕自身が、この写真に映っている2人に、かつての僕自身の姿を見出すからである。つまり、
「まあ…当然の成り行きの事か…」
と感じられる事を、僕自身、彼らに似たような状況下で経験をしているから。
そして、もう一つは…彼らもそうだし、僕もそうだ。もしかしたら、これを見ているあなたもそうかもしれない。
そう、僕らは『柔道』という『道』を歩み続けている。『道』を歩いていれば、実に様々な景色を観る事になる。
これからするお話は、そう言った景色の一つになる。
写真、向かって左が増田パパ。向かって、右が今野さん。
増田パパは、この日、投の形の研修、及び、その直後に行われる形の審査を受けて合格するために、つまり、
増田パパは、この日、初段への昇段を果たすために(写真を見てもらえば気付くけれど)
今野さんは、この日、投の形の研修を受けに、改めて投の形を勉強するために、
それぞれが、別々に講道館にやって来た。
でも、僕は、この2人が出会う事を、研修会の2日前に既に知っていた。
先ずは、この辺りの経緯とそれから、増田パパのお話から始めようと思う。
久々に、此処で柔道のお話を披露するのだけれど…
僕の、お話は『長い』です。それを踏まえて(続きを読む)を
読者にお願いいたします。
久々に…本当に『長い』お話です。
増田パパの取り巻く環境
増田パパには、2人のお子さん(共に中学生)がいる。
増田パパと、2人のお子さん、そして、僕の関係なのだけれど、僕らは、
同じ、柔道クラブに在籍して柔道の稽古を積んでいる。
僕は、今の柔道クラブへは、弐段に昇段するための稽古量を確保するために、4年前にやって来た。
増田パパと、2人のお子さんとの出会いは、その頃にまで遡る。多分、3人同時に、今の柔道クラブに入団して柔道を
始めたのだと思う。そう仮定すると、この3人の柔道経歴は6年目という事になるのだろう。
…
「いや~6年目にして、やっと初段になりました。」
この日の、講道館の帰りの電車の中で、増田パパが僕に対して、照れ笑いを見せながらしみじみと言ったセリフである。
念のために、増田パパの名誉のために僕は言っておく。僕は、4年前に増田パパと出会って、柔道クラブの稽古で初めて寝技の乱取りをした時に本当に驚いた。当時も増田パパは白帯をしていた。
「(本当に…この人、白帯かよ…)」
これが、僕が増田パパに対して抱いた印象である。だから、この日の寝技乱取りの稽古が終わって立ち技の乱取りが始まるまでの休憩の合間に僕は増田パパにこう尋ねた。
「もしかして、帯(黒帯)忘れて、取り敢えず、白帯を借りているのですか?」
増田パパは、一瞬
「は?」
となったが、僕の尋ねた意味が解ったらしく、笑いながら…(今思えば、増田パパ、このとき嬉しかったのかな?)
「いや~まだ、初段では、ないですよ!」
「え?今、何級なんですか?(少なくとも、今、1級だろう…)」
「本当の無『級』です。」
「は!?」
増田パパは、この県の昇級審査すら受けていなかった。
僕や、増田パパが住むこの県では、3級、2級、1級、と昇級して行き、
そこまで行き、やっと、初段審査を受ける事が出来る。
そして、この地区の柔道連盟主催の昇級審査や県柔道連盟主催の昇段審査は、いずれも日曜日に開催される。
…
「どうしても、日曜日の仕事が休めないんですよね…」
…
通常、大人は生活の基盤を確保するために働いている。
自分に子供がいれば、何が何でもその基盤を確保しなければならない。
大人なら、当然の事というか、どうしても働く事、仕事が最優先になる。
生活の基盤を確保するために…
…
「(中には、僕みたいな例外も居るかもしれないが…でも、あれか…僕は『大人』ではないか…)」
…
僕は、事あるごとに、毎回のように増田パパに『愚痴』っていたような気がする。
「増田パパ…何とかならないんですか…」
この、『愚痴』の意味は、
「増田パパ、日曜日の仕事休めないの?」
という意味ではない。
「どうして増田パパを昇段させないの?」
という意味である。実は、柔道で昇段する方法は幾つかある。今は、ここで詳細は描かないが…
「(こういう事を描いているから嫌われるのか…)」
増田パパは、その都度、笑って僕の愚痴を受け流していた。
増田パパが、何十回目…かの僕のいつもの『愚痴』を聞かされたとき、このときは、この僕の愚痴を
『業師K先生(この表現の意味する処は(表現形式は)、このお話の中盤位に述べる。)』
も聞いていた。さすがに、業師K先生も僕の『愚痴』に苦笑いしつつも
「でも…本当だよな…」
K先生、ご自身が感じた事が、言葉になってこぼれていた。K先生も、増田パパの現状は理解している。
このとき、少しの間の後に業師K先生は、気付き、そして増田パパにある提案をした。
「増田パパ、月次試合という方法もあるよ!」
『業師K先生』は、柔道で昇段して行く方法の一つを教えたのだった。
『業師K先生』が教えた方法とは、次のようにして昇段をしていく方法である。
講道館では、ほぼ毎月(1月以外)、月次試合、または、紅白試合(春季紅白試合と秋季紅白試合)
のいずれかの試合が、決まった日程の日に行われている。この試合の成績は次のように点数に換算される。
その試合で勝つと1点。その試合で引き分けると0.5点。これらの試合に出場し続けて、そして、
試合の成績を点数に換算して通算で3点以上あれば、実力を認められて、その段位に応じた形の審査の受験資格が獲られる。
その形の審査に合格をして次の段位へ昇段をする。そういう方法だ。
形の審査は、毎月1回(前の月にならないと日程が決まらない。月次試合や紅白試合とは別の日のある土曜日に)ある。
その月のある土曜日に、講道館『形』研修会が行われるのだが、この『形』研修会の直後に形の審査が行われる。
この研修会の時に、研修会の後に行われる形の審査を受験する旨を、講道館の指導員の先生達に伝えて、その上で、
昇段を望む者は形の審査を受験する事になる。
(講道館『形』研修会…このお話のタイトルでもある。)
『業師K先生』が教えた『月次試合』という柔道で昇段する方法とは、だいたい、こういう流れの事だ。
『だいたい』
というのは、細かな説明を僕がしだすと本当に収拾がつかなくなる。何よりも、試合形式や、昇段の条件にも
それぞれ別の要素があるのだが、それらは、改めて別の機会にする事にする。
(要は、此処に描いたのは、間違いではないが、正確性に欠ける。その事は、読者にはお断りしておく。
勿論、僕の責任において正確性も込めた『月次試合』のお話はいずれは描くつもりでいる。)
今回のお話で、関連する部分で重要な事実は、
月次試合が行われるのが木曜日か土曜日である事。
形の審査の日、つまり、講道館『形』研修会の行われる日が、土曜日である事。
この2つの点である。
「要は日曜日、以外に行われる!」
そういう事実だ。つまり、増田パパが、その気になれば『道』は開かれる。
ただ、実際に『試合』に出場するとなると、実力は勿論そうなのだが、実力以外の
『何か』
も用意しなければならない…
その後、柔道クラブの稽古の合間に、増田パパは、仕切りに、先生達に同じ事の質問を繰り返していた。
「やっぱり、『稽古』と『試合』は、全然異なる…全く違う物…なんですか?」
ある時、この質問を受けた『レスラーO先生』が、あっさり以下のように応えた。
「ああ、勿論!全然違うよ!!何よりも、『試合』に出なければ、解らない世界が在るからね…」
僕はこの時、たまたま隣で2人のやりとりを聞いていた。
増田パパの気持ちは物凄く僕は良く解った。勿論、増田パパ自身もその事を理解していた。そう…確かに
『何か』
も用意しなければならない…読者のあなたは、
『心を用意すれば良いのでしょ!』
と簡単に思ったり感じたりするのかも知れないが…勿論、間違いではないが、100点満点のテストで30点の考えである。
つまり、『赤点レベル』である。で、読者のあなたに寄り添う形で僕が応える…
『魂(こころ)を用意する必要がある…』
でもね…これでも、50点の回答だ…僕の描く力不足は否めない。だから、僕は、今の処、こう描くしかない。
そう…確かに
『何か』
も用意しなければならない…
そして、同じ視点で、『レスラーO先生』が言った
「(前略)『試合』に出なければ、解らない世界が在るからね…」
についても、同様の事が言える。
(注:僕の事を知っている人のある人達は、こう言うかもしれない。
「面倒だから、今は描かないでしょ?本当は…」
こう言った側面もある。ただ、今回はいつものような僕が収拾のつかなくなる事態は避けないとならない。だって、
これは、『報告レポート』でもあるのだから…)
増田パパは、結局どうしたのか?そして、どうなったのか?
増田パパは、今年に入ってから、木曜日や土曜日に行われる『月次試合(無段の部)』に出場し続けた。
そして、8月の『月次試合(無段の部)』において、一気に点数を稼ぎ、通算成績4.5点となった。
初段昇段のための形の審査の受験資格を、増田パパは、ついに獲たのである。
増田パパの形の稽古と、同じ頃のtakumaroの動向
増田パパは、今年の8月に、初段昇段のための形の審査の受験資格を獲ていたのだけれど、
中々、形の稽古を始めずにいた。理由は、2つあるのだと思う。
1つは、8月の『月次試合』で3人抜きをしたという経験で、柔道その物に弾みがついたのだろう。
(『月次試合』で3人抜き?解らないあなたへ、僕からのお願い。
しばらく待ってください。いずれは、意味する物を僕は描く予定です。)
8月以降の増田パパの柔道クラブの稽古は、見ていて、今まで以上に楽しそうに寝技や立ち技の乱取りに取り組んでいた。
理由のもう1つは、多分、柔道の特殊性なのだろう。いや、少数派しか保持していない感覚に依るものなのかもしれないが…
ここは、責任のある方に直接、登場していただこう。その方が良いと思う。
…
「自分が説明をしなければ、ならないのかの…?」
僕は応える。
「ハイ!お願いします。責任のある方は、眠っている暇などありません。」
その方は、笑って僕の方を見ていた。さらに、僕を観続けている。
「何か?」
「奇人変人も、其処まで行けば見事である!!!」
僕も思わずニンマリと笑ってしまった。威儀を正して改めて…
「先生!お願いします!」
『柔道の形というものは、あたかも文章において文法のごときもので、
乱取りは即ち作文の練習のごときものであるからである。
即ち文章をかくときに、文法の知識を必要とするがごとく、
乱取りにも形を必要とする。いかに文法に精通したとて、
ただちに名文が書けないとともに、また、
文法を知らずに、むやみに文章を書いても、正しき文章は出来がたい。
これと同じことで、柔術においてもまた…』
「先生、気になさらずに続けて下さい。」
『柔術(柔道)においてもまた、形を学ばんでは、どうしても、
攻撃防禦のあらゆる方面のことについて会得し、また熟練することは出来がたい。しかし…』
「先生…其処で一旦切って下さい。」
社会にはルールが在る。同じように…
『世界』
にもルールが在る。今、僕がしている事はグレーゾーンである。
「十分です。後は…かつてのように…求めに来た者に対してのみ『道』を示して下さい。」
先生は、直ぐに状況を理解し、この場を去られた。
…
その方、先生の事を僕は親しみを込めて(僕は親しみを込めているつもりなのだが…)
『くだんのおっさん』
と呼んでいる。まあ、正確には僕が呼んでいるのではないのだが…
僕の悪い癖で、時に、物凄く僕は暴走をするようである。今の行動は完全な暴走だ。そして、
『先生(くだんのおっさん)』
もかなり僕の行動につられてしまった。今は、
『(前略)かつてのように…求めに来た者に対してのみ(後略)』
とだけ、表現し読者のあなたの理解が獲られる事を期待するしかない…もう少しだけ、
読者のあなたに寄り添うのなら、『道』を歩いていると確かに不思議な景色を観る事も、ごくたまに在るようである。
話を元に戻す。
『増田パパが、中々、形の稽古を始めなかった…』
そのもう一つの理由。柔道の特殊性…
先生は、乱取りの稽古を『作文』として、形の稽古を『文法』として例えられた。
同じ、文章を書くための勉強でも、その質は大きく異なる。
内側から、外側へ『出力』するのか?それとも、外側から、内側に『入力』をするのか?
稽古において、試合に近い形で、自分自身の何かを試すのか?あるいは、
稽古において、互いに協力して、双方で何かを再現するのか?
相対するのか…それとも、
相共するのか…
同じ柔道における、乱取りの稽古と、形の稽古。にもかかわらず、これらの稽古は本当に互いに異質である。
多分、同じ時間の中で双方の稽古をするのには無理があると思う。
現状では、昇段のための審査の一環として形の審査があり、そのために形の稽古をする。このための形の稽古を
している人が殆どである。確かに、このような入り口でも、その後、形の稽古も始める人が出て来る。
運が良ければ、縁があれば、ある種の感覚や経験を確かに手にする。
もしかしたら、本人が抱えている切迫感が何かを引き寄せるのかもしれない。
僕には、切迫感があった。そして、確かに何かを引き寄せた。(実際には、観るに見かねて…だったのだろう。)
『(前略)形を学ばんでは、どうしても、
攻撃防禦のあらゆる方面のことについて会得し、また熟練することは出来がたい。(後略)』
先生にも、切迫感があったのだと僕は思う。
乱取りの稽古と形の稽古。
それぞれが、互いに異質な物。
それらを繋げる物が、ある種の感覚だったり、経験だっだり…
でも…誰もが経験するのか、誰もが保持できる感覚なのか…僕には解らない。しかし…これだけは僕は断言できる。
道を歩いていると不思議な景色を観る事がある。(観る事になる。)
増田パパは、柔道クラブの稽古で、本当に楽しく乱取りの稽古を積み続けた。
一方で、僕の方も、月次試合に出場し続けてコツコツと点数を貯めた。実際に、今年の7月の月次試合では
講道館の7階の大道場で増田パパと会ったりもした。
増田パパは、月次試合の無段の部に出場しているのに対して、
僕の方は、月次試合の弐段の部に出場し続けた。
僕の方は、増田パパから遅れる事、一か月後の9月の月次試合でようやく、一定の成績の点数に届いた。
僕の方も、参段の昇段のための形の審査の受験資格を獲るに辿り着いた。
9月の月次試合は、ある土曜日に行われた。この月次試合の帰り、家には戻らず直接、柔道クラブの稽古に参加した。
柔道クラブの先生達、一緒に稽古をしている仲間たちに
「(うん?『同志』と表現した方が良いのかな…)」
簡単に報告をした。
(先生達や、同志たちには、『本当に話が長い!!!』とよく言われる。僕の話が長いのは読者のあたたにも理解できるだろう。この日は、僕は本当に『簡単』に報告をした。)
増田パパにも報告をした。
「増田パパ、お蔭様で、僕の方も一定の点数に辿り着きました。」
「やりましたね!おめでとうございます!」
「僕の方は、今月末の9月30日に、形の審査を受けに講道館へ行く予定なのですけれど、増田パパはどうします?」
「えっつ!?」
増田パパは驚いていた。僕は、参段に昇段する審査を受けるので、『固の形』の審査が行われる。
「(もう、準備出来ているんですか?)」
そういう驚きなのだろう。
…
でも、此処には僕の特殊性がある。僕の周りには、柔道の形の稽古を(形の稽古も)積んでいる人達がたくさんいる。
『極め過ぎT先生』、『業師K先生』らが音頭をとり、毎週日曜日に柔道の形の稽古を積んでいる。
其処へは、『レスラーO先生』や、『極めの方Eさん』、『極めの方Iさん』、『Y姉妹(あだ名未定…)』
と言った面々も参加していて、其処で僕も形の稽古を積んでいる。
柔道の形にかなり詳しい人達が身近に居て稽古を積んでいる事。
(詳細は今は描かないが、皆、ある意味『専門家』である。)
其処に交じって僕も柔道の形の稽古に参加している事が本当に大きい。
これまた、特殊な事情で、僕はたまたま、この日曜日の柔道の形の稽古を客観的に観る事の出来る機会が、
この10月(2017年の10月)のある日曜日にあった。(この日は、この日で本当に大変な思いをしたのだけれど…)
…のだが、本当にこの時の形の稽古をしている面々は通常では有り得ない面々(スペシャリスト達)が集まって
形の稽古をしていた。そういう『専門家』達に囲まれて、形の稽古を積んでいる事が大きい。
こう言った人達と柔道の形の稽古を僕は積んでいる。
多分、今回、初めて『これ』を見ている人達もいる。そろそろ、所々に散見する僕の独特な表現の中の一つについての
説明をここでしようと思う。
『極め過ぎT先生』、『業師K先生』…
これは、人のあだ名である。勿論、僕が勝手に僕の立場から勝手に付けた。勿論、それなりの理由が在っての事である。
『極め過ぎT先生』は、形の稽古の時の先生である。
柔道の形には色々な演目がある。
投の形(初段(9本目まで)、弐段(15本全て))、
固の形(参段)
柔の形(四段)
極の形(五段)
講道館護身術(六段)
取り敢えず、此処までとして…(これ以外にも後4つ?形がある。)
段位は、その段位へ昇段する時に、その形の審査がされることを示した。でも、昇段するとか、そのための形の審査とか
関係なく、興味とか関心が在るのなら、どんどん形の稽古に参加するのもありだ。
時代も変わったのだと思う。あなたが、柔道のある種の感覚を掴みたいのなら、どの形でも良いから形の稽古を始める事を
僕は勧める。僕の場合は、ある種の切迫感(柔道のある種の感覚を掴まなければ…)と
様々な『縁』に恵まれた事に依り、弐段に昇段して1年後位から本格的な形の稽古を始めた。
形の稽古を始めて、弐段の僕が最初に覚えたのは講道館護身術である。
この講道館護身術、取り(技を仕掛けて決める側)は、受(取りの技を受ける側)の肘関節や手首を極める技をする…のだが、
僕は、この講道館護身術の形の稽古で受を務めて…道場内に木霊する(本当に道場内に木霊させました…)…
「ぐわっつ!!!」
とか…あるいは…
「ぎえ~っつ!!!」
等々の叫び声を何回上げたのか解らない。そして、
この時の取りを務めている先生に、講道館護身術をご教示して下さっている先生に
「先生…極め過ぎです…もう少し…」
と何回訴えたのかも解らない。僕は、始めた形の稽古で、この講道館護身術をご教示して下さった先生を
『極め過ぎT先生』
と此処では表現している。
『業師(わざし)K先生』は、柔道の技が切れる冴えわたっている。実際に、柔道のある技の入り方の『秘技』を
僕に教えてくれた。『秘技』と僕は描いたが、映像では絶対に解らない。そして、また技の受けた側も解らない。
技を仕掛けた側のみが知りうる感覚のヒントを僕に与えてくれた。僕は、そう感じている。なので、「秘技」と表現をした。
くどいようだが、映像で、さらには生で見ていたとしても絶対に獲られない感覚だと思う。
ちなみに、ヒントをもらって理解して体現できるまでに僕は8か月も掛かってしまった。
「(うん?僕が不器用なだけか?)」
『業師K先生』が切れたり冴えわたったりするのは、技だけではない。例えば、『業師K先生』も形の先生であり、
一緒に形の稽古を積んでいるのだが、先程の場合では
道場内に木霊する
「ぐわっつ!!!」
とか…あるいは…
「ぎえ~っつ!!!」
等々の僕の『叫び声』に対して…
「おっ!今日も『奇声』を発しているな!!!」
等のユーモアも冴えわたっている。う~ん…ブラックユーモアも多いかな!?
かような事情により、此処では
『業師K先生』
と表現をしている。
僕の独特な表現の僕なりの根拠の一つを説明をした。(つまり、あだ名がついている人に対して僕独特の解釈がある。)
話を戻そう。
『極め過ぎT先生』、『業師K先生』のいずれも、長きにわたり柔道の形の稽古も積まれている。
そういう先生達の指導の下で早くから、僕は固の形の稽古も始めていた事もある。
さらには、僕は、固の形の帯同者として、昇段審査の形の審査などで、人が足りなくて審査を受ける人の相手を務めた事も
既に何度もあった。この段階で、僕自身が形の審査(固の形)を受けるにあたり緊張する事も皆無だった。
これが、僕の特殊性だった。
「増田パパどうします?」
「う~ん…」
「まだ、2週間近くありますし、水曜日の稽古と、
日曜日の稽古でギリ間に合いますよ!(細かな対応で指導できる先生達もいるから…)」
「う~ん…」
増田パパは、考えているようだった。形の審査を受けるとしたら、あと審査まで2週間…出来る稽古の回数は、この段階で
4回…
「今回は、止めておきます。」
「そうですか…」
で、結局、後から試合における一定の成績の点数に届いた僕の方が先に昇段する事になった。
正式には、9月30日の形の審査を経て、改めて審議部の先生達の会議を経て10月25日に昇段をした。
講道館から、直接、正式な文書による昇段内定通知(その後の事務手続きも書いてある)が届いた週の
土曜日の柔道クラブの稽古で、改めて増田パパにプレッシャーをかける。
「増田パパ…は…どうします?手続きもあるから、正式に決まるまでは、どうしても、1,2か月は、掛かるみたいですね…」
「う~ん…」
増田パパ、この時も「う~ん…」の返事だったのだが、11月に入った、最初の柔道クラブの稽古で僕と会った時に
「takumaroさん(これ、知らない人のために僕の事です。)、一応、年内中に決着を付けたいので、形の指導、お願いします。」
増田パパの腰がようやく上がった。増田パパの中でも、投の形の学習計画が立てられたのかもしれない。
増田パパの投の形の稽古には、同じ道場で一緒に稽古をしている二人の子供達も駆りだされた。
柔道クラブのしきたりで、少年部の最後の年の稽古初めの時に(小学6年生の1月、中学へ入学する前の)
その時の、少年部の最高学年の者が、柔道クラブの稽古初めで何らかの形の演武をする事になっている。
現在中学生のCちゃん、S君、ともに投の形(9本目)まで既に知っている。僕も、そして、先生達も増田パパに協力した。
今は、スマートフォンで動画も見れる。本当は、不味い事なのかもしれないが…要は、ネットでも
講道館『投の形』の動画を何らかの物を見る事は出来る。
僕は、当初は、投の形の全体の流れと、その演武の中での道場の中での立つ位置を意識して増田パパに教えた。
一通りの流れが出来てきた処で、それぞれの取りが仕掛ける技のポイントとなる動作を意識して付け加えて行った。
「どこまでを要求されるのか…」
初めて、形の稽古をする人に、どのタイミングでその動作の説明を付け加えるべきか…悩むところである。
立場上、僕は、投の形をこれから
初段へ昇段する中学生達や大人達に教える機会が格段に増えた。教えていて、
「(今、ここで、こんな細かい動作は…)」
多分、1つの形の演目の中に、ポイントとなる動作が幾つもあり、さらに、その動作を覆い尽くすようにして
無数の細かな動作がある。本当に、1つの形にしても底無しに感じる。
どの動作を、形の中のポイントとなる動作として、どの動作を細かな動作とするのかは、その形の稽古をしている者の
感覚に委ねられるのだろう。僕も、今の僕が解っていない投の形の動作が、後どれぐらい出て来るのか…ちびりそうになる。
というのは…僕の、投の形の指導を良く観ている人がいて…
「takumaroさん、そうじゃなくて…」
とか、
「takumaroさん、そこは、こうして…」
といった具合に、僕は、僕で投げの形の指導者としてかなりのダメ出しを受けている。
「(いや~今、言わなくても…)」
と正直思う事も在れば…
「(えっつ?そうだったの?)」
僕自身が解っていなかった事、というのもある。
僕は、元々は『投の形』は映像(DVDを購入して…)で勉強をした。勿論、これは、昇段のために、覚えたのである。
僕の出だしは、昇段のための形の稽古だったのである。
そう、先に述べた、一般的な傾向の1人が僕だ。そして、先に推論でこう僕は述べた。
『運が良ければ、縁があれば、ある種の感覚や経験を確かに手にする。
もしかしたら、本人が抱えている切迫感が何かを引き寄せるのかもしれない。』
僕は、本当に運よく、そして縁が在り
ある種の感覚と経験を手にした。そして、また、確かに何かを引き寄せた。
話が、逸れそうだ…僕は、今、改めて形の稽古を続けているが、映像だけでは獲られない世界は確かにある。
先の僕への指導者としてのダメ出しも、そう言った類の一つだ。えてして、そういう物は中々、自分の中には
入っていかない物だ。ただ、僕の場合は、良くも悪くも、言われた事は覚えている。
『言われた事、覚えている事』
これが、導き手となって次へと進んでいくようである。
『投の形』の形一つに限定しても、それだけの感覚が起きているのだから…本当に底無しだ。
だって、柔道の形はこの『投の形』以外にもたくさんある。この記事の中でも紹介している通り…
「(『投の形』は、基本的には誰もが通る道だから、指導者としてなら、改めて勉強し直さないとな…)」
とは思っているのだが、この性格と僕の情緒不安定(これは、僕に対する僕自身の仮表現)。
本当に、世の中は思うように行かない事が多い。
増田パパの形の稽古も順調に進んでいるのを感じて、11月下旬に増田パパに声を掛けた。
「今日は、一通り通しでやってみますか?僕が受けをやりますので…」
増田パパは、即答した。
「お願いします!」
僕は、僕で今の僕が不足している技術を獲るための、其処へ近づくための稽古として受けを務めてみた。
(僕が、不足している技術とは『受け身』という技術なのだが、まあ、この話は…別の機会にしようと思う。)
増田パパが取りで、僕が受で、投の形の9本目までを実際にやってみた。
(知らない人もいると思うので…柔道では初段の昇段のための形の審査として投の形の9本目までが審査される。尚、
投の形は、全部で15本あり、弐段に昇段するための形の審査においては、投の形、全部15本が審査される。…)
このとき、確かに双方のそれぞれの目的があり、それぞれが、その目的の再現をする事を意識した。
その結果、互いに協力した結果、其処へ再現される物…
「(成程な…)」
改めて、形の稽古の醍醐味を僕は感じた。増田パパに声を掛ける。
其処へ、再現された物を意識した僕の感想でもあった。
「(形の審査ならば…)大丈夫そうですね…」
「本当ですか…?」
「ええ、大丈夫ですよ。審査なら…」
増田パパは、少しホッとした顔をし笑みを見せた。僕は、僕で、自分の馬鹿正直さにあきれつつ、肌で感じた
増田パパの形の稽古が順調に進んでいる事にホッとした。
本当に稽古その物には底が無い。
「(形の審査ならば…)審査なら…」
これも、また、僕が感じた正直な感想だった。
増田パパの形の稽古は、さらに追い込みの時期に入った。日曜日の
『極め過ぎT先生』、『業師K先生』らが音頭を取っている、柔道の形の稽古にも参加し、さらに…
12月に入った最初の日曜日の形の稽古の途中で、『極め過ぎT先生』が増田パパに声を掛けた。
「いつも稽古に参加してくれているんだけれど、ごめんね…途中…入れ代わり立ち代わり…になっちゃって…」
「いや…そんな事ないです。子供達とでも稽古は積めますし…」
毎年恒例の道友会の『形』の競技会を控えていて、どうしても、形の稽古の時は、増田パパへの指導も…やや後手後手に
成ってしまっていたのも事実だ。
その、道友会の形の競技会へは
『極め過ぎT先生』、『業師K先生』は、勿論、今回は、僕も出場する。
『極め過ぎT先生』と『業師K先生』でペアーを組み、形の演目は『講道館護身術』で、
僕は、『Y先生(あだ名未定)』とペアーを組んで、形の演目は、『固の形』で、それぞれエントリーしている。
ただ、幸いな事は、道友会の形の競技会へ出場予定のそれぞれのペアーが、同時に稽古をする事はなかった。だから
4人の中の誰かしらが増田パパの『投の形』の指導に入れ代わりで入る事は出来た。
『極め過ぎT先生』が増田パパに提案をした。
「明日なんだけれどさ…今日と同じ19時からだけど、時間ある?」
「え!?」
「増田さんが良いのなら、明日もやろうよ!」
「(仕事のために)ちょっと遅れてしまうかもしれないのですが…それでも、良ければ…」
「じゃあ、決まりだ!」
急遽、明日の月曜日の形の稽古が決まった。
「来れるでしょ?takumaroさん!」
「えっつ?いや…あの…その…」
いくら柔道が好きでも、週2日の休み(柔道の稽古のない日)の1日が無くなってしまう。
「その…あの…」
「大丈夫でしょ?」
「前向きに調整をします…」
「K先生も来れる?」
「仕事の方が、何とか決着が付けば…」
結局、月曜日の形の稽古に『極め過ぎT先生』、増田パパ、チホちゃん(増田パパの長女)、そして、
増田パパよりも遅れての僕、の4人が集まった。さすがに、『業師K先生』は無理だったようだ。
遅れて来た僕は急いで、準備体操をして柔軟体操をして身体を温める。
そして、身体が温まった所で僕は増田パパに声を掛けた。
「じゃあ、一通り、通してやってみますか!」
「ハイ!」
増田パパが取りで、僕は受けで『投の形』を一通りやり、それを『極め過ぎT先生』に見てもらった。
「大丈夫そうだね!」
今度は、『極め過ぎT先生』のお墨付きを貰った。
増田パパも言った。
「取りは自信があるんですけどね…受けがどうなるか…」
講道館『形』研修会とその直後に行われる初段昇段のための形の審査に向けた、増田パパの形の稽古もいよいよ
大詰めの段階にまで辿り着いた。
しかし…である。
3日前の水曜日と2日前の木曜日
増田パパの形の稽古と同時に、道友会の形の競技会に向けた稽古も同時に進行していた。
『極め過ぎT先生』と『業師K先生』でペアーを組み、形の演目は『講道館護身術』で、
僕は、『Y先生(あだ名未定)』とペアーを組んで、形の演目は、『固の形』で、それぞれエントリーしている。
僕は、今回になって、ようやく形の競技会への初出場になる。本稿は、増田パパが主演…!?であるから、
道友会の詳しい話は、別の機会にするが、今回は、それぞれのペアーが優秀賞を戴いた。
普段、一緒に形の稽古をしている今回の道友会の出場者、全員が受賞をした。つまり、僕も受賞したという事だ。
「えっつ?えっつ?えっつ!!?」
勿論、嬉しい、という感情も勿論あるが、上記に描いた通りの感情の方が、僕は強い。
「何故…!?」
その検証をすべく、この記事を描いているのもある。勿論、報告レポートでもあるのだが…
世の中には、100パーセント不可能な事がある。
この道友会には、先生達以外にも、僕の知り合いのペアーが2組、『柔の形』でエントリーしていた。
僕は、自分のこの目で、その2組の形の演武を見た。そして、観た。(この2組も受賞している。)同じようにして、
自分の演武を、自分のこの目で見たいのだが…それは、出来ない。観る事は、出来るのかもしれないが…
しかし…とてもではないが、まだ、そのレベルは遥か彼方だ…
映像は、確かに手掛かりにはなる。だけど…僕が感じる限りでは、映像では大半の情報が抜け落ちてしまう。
僕は実際に、人の演武を撮影したことがあるので、この段階で情報が抜け落ちているのを既に感じている。
このとき、撮影しながら感じていた事は、合間合間ではなく…
「直接、この目に焼き付けておきたい…」
そう言った感覚であり、そして、僕の、そう言った個人的な感情だった。
形の稽古、そして、その上での形の演武、これらに依ってもたらされる物は、
内部に対しても、外部に対しても、確かにあるようだ。
とにかく、先に僕らの番は終わった。今度は、増田パパの番である。
日曜日の道友会の形の競技会が終わり、水曜日の柔道クラブのいつもの稽古へ向かう車の中で次を考える。
「今度は、増田パパの番か…やっぱり、土曜日に僕も行くしかないのかな…」
柔道クラブの水曜日の稽古は、20時30分に終わり、その後、21時直前まで自由稽古になる。
「増田パパと、1回は『投の形』の通しが出来るかな…」
と考えていた。ところがである。
…
この日、水曜日の柔道クラブの稽古に、増田パパは、珍しくかなり遅れてやって来た。さらに、いつもなら、
着替え終わっている状態で道場に入って来るのだが、この日に限って、私服でそのまま道場に入って来た。
僕の子供達への指導が一区切りして
「じゃあ、水分補給!」
と声を掛けたタイミングで、増田パパは僕の処にやって来た。
「どうしたんですか?今日はやらないのですか?」
「いや~土曜日の稽古の時に手首をやってしまいまして…」
「えっつ!!?」
驚く僕に、増田パパは、テーピングと包帯とで固定している右手首を僕に見せた。
「どうするんですか?…今度の土曜日(講道館『形』研修会の日)…?」
さすがに、質問せずにはいられなかった。
「身体を休ませるだけ、休ませて、ぶっつけ本番ですかね…今回を逃すと、来年…改めてとなると…どんどん
先送りにしてしまいそうなので…ああ、強行で今回の審査を受ける予定です。」
「そうですよね…」
ホッとは出来ないのだが、ホッとする。あくまでも、『審査』なのだから受ければ何とかなるのだが、
今の僕からはそれは言えない。(念のために、『審査』をなめてかかると、エライ目に合います。それだけは、読者はご理解を!え!?いや、勿論、本当にエライ目に合っている人達を僕は何度か見ていますので…)
「という事なので、takumaroさん土曜日…お願いいたします!」
「ええ~っつ!!」
この場で、僕は即答をしなかったが、まあ、既に行くつもりではいた。僕の中での
『投の形』の再再々…学習計画を短期間に組まなければならない。
「(木曜日、金曜日、土曜日現地で…)」
頭の中で思い描く。僕からの返事を獲られなかった増田パパが改めて(色気を加えつつ)
「お願いしますね~期待していますから~」
考え事をしていた僕は、つまり学習計画を考えていたので、僕の反応はチグハグになってしまった。
「えっつ…うっい…あっつ…」
増田パパにとっては、僕の明快な回答は獲られなかった。が、傍から見て僕の反応は面白かったのだろう。
増田パパは、そんな僕を見て笑っていた。
木曜日、僕個人の柔道ライフサイクルの関係で、この日は柔道教室の方で稽古がある。
稽古が始まる30分前に道場に入り、着替え終わってから考える。
「(立ち技の乱取りの時は、乱取りをせずに、中学生を捕まえて形の稽古に付き合ってもらうか…)」
などと、いつものような中学生を巻き込む事を画策する。まあ…実際には、中学生の方から
「投げの形を教えて欲しいのですけれど…」
とお願いされる事の方が多い。勿論、お願いをしている中学生、
以外の中学生を巻き込んで形の稽古をしている事も在るのだけれど…
この日は幸い、柔道教室の中学生の誰も巻き込まずに済んだ。というのは…
稽古が始まり、最初に柔道場を2周するランニングの時に、K坂先生より声を掛けられた。
「takumaroさん、今度の土曜日の講道館『形』研修会に行きます?」
「ええ!行く予定ではあります。ちょっと諸事情は在りますが…」
「諸事情!?」
「普段稽古をしている柔道クラブの方で、月次試合を通して初段に昇段を目指している方がいて、その方が
形の審査を受けるので、帯同者として、その審査の相方を務める事になるのかと…今回は…」
「ああ、それなら、丁度良い!」
「はっつ?」
頭の中で、『???』やら『!?!?!?』とやらが、繰り返される。
「私の大学の時の先輩で、今、とある高校で柔道部の顧問をしている先生から、昨日私の処に連絡がありまして…
…
「お前、今度の土曜日、講道館に行く予定あるか?」
「講道館『形』研修会ですよね…行く予定ではありますが…」
「俺の教え子で(柔道部の卒部生)、『投の形』を勉強しに行く奴がいるからよろしく頼むよ!」
「ああ、はい、解りました…」
「それじゃ、頼んだぞ!!!」
…
K坂先生の話を聞きながら、僕の心の声が漏れてしまう。
「何処へ行っても、同じような景色はあるんですね…」
K坂先生は、僕の心の声の意味が解ったらしく、2人して笑ってしまった。
「その方のお名前は?」
「今野さん…とか言ったかな…」
「成程…丁度良い…訳ですね!」
当日に、増田パパと今野さんを引き合わせて、2人の『投の形』の稽古をK坂先生と、僕とでサポートする事を
この時に確認した。
当日…講道館『形』研修会(2017.12.16)その1
ここ最近、僕が講道館へ行く回数が急に増えた。月次試合。そして、この、講道館『形』研修会。
自宅最寄りの駅から、電車で向かうのだが、たいていの場合、何かしらの『本』を読んでいる。
この日、行きの電車の中で呼んでいた本の感想である。
「以外と、此処まで、はっきりと『描く』事の意味を書き記した物はないのかな…」
本を読んでいて、『描く』事の意味と意義を公平に書き記した物は意外に少ない。確かに、
何かが『描ける』事は素晴らしい事だ。もしかしたら、それで誰かの心が潤うのかもしれない。
でも…『描かれた物』に対する読者の反応は千差万別だ。そして、
それを、描いている人間もまた千差万別なのだろう…
遺される物が在って、ようやく未来に起こる何らかの反応が期待される。
もっとも、その頃には、その描き手はもう世界にはいないのだろうけれど…
『本』なら、読み継がれていくのだろうか…
『本』という媒体を通して、著者から読者へ、何らかのバトンが渡される。そして、
この読者の中から、さらに、新たな反読者たるものが現れて、次の
『本』の著者となり、次の読者へと形を変えた何らかのバトンが渡される。そうやって、繰り返される。そして、
何かが、継承されていく。何かが受け継がれていく。
…
「だけど…映像でも、文章でも伝わらない、感覚。その感覚に裏打ちされた知識や経験は…どうやって…?」
確かに、『無形』の物がある。僕自身、柔道の形の稽古を通じて獲た感覚だ。
そして、僕自身の個人的な事情とリンクする。同じ事を呟く。
「(描く事に依って)遺す事を続けるしかないか…」
僕自身は、その頃にはいない。ただ、(繰り返しになるかもしれないが…)
遺される物に依る、未来に起こる何らかの反応に期待を託すだけである。
電車の中で、かなり意識が飛んでいたのが客観的に解る。自身を連れ戻す。
「今日は、増田パパの事が、最優先だろ!」
そうだった。この日に増田パパは、初段に昇段するための『投の形』の審査を受ける。そのサポートが最優先である。
「今野さんは、どの程度、身体が動けるのだろうか…?」
状況を見て、判断をする事を迫られるのかもしれない。
いつもの事だが、電車の中でのハチャメチャな自分の意識の混濁の中でも、無事に講道館に辿り着く奇跡に
自分を通して、人間の能力の高さを痛感する。この日も無事に講道館に辿り着き、直ぐに控室で着替える。
着替えながら、控室の中に増田パパの姿を探し求める。
「増田パパは、まだ来ていないのかな…?」
そして…自分の天然振りも改めて確認をしてしまう。理由は、物語のエピローグにて解る。
(講道館に行ったことのある人なら、直ぐに解る事なのだが…)
「7階の大道場にて、既に増田パパが待っている事を期待しよう…」
この場に、増田パパが現れるのをあきらめて、7階の大道場へと向かった。
7階の大道場の入り口に立ち、間合いを取って、深々と頭を垂れて
『礼』
をする。ゆっくりと、頭を上げながら大道場を見渡す。1歩、2歩、3歩と歩みを進めた次の瞬間に、視界の左側から
大きく迫って来る人影を認めた。
「あっつ!!!」
増田パパである。走って、僕の処に向かって来ている。増田パパは、相当の間、僕の事を待ち続けたのだろうか…
物理的な時間は、長くないはずだが、増田パパにとっては、今日、この7階の大道場に現れるかどうか解らない
僕を待つのは相当な負担だったのだろう。ホッとした顔をして笑っていた。勿論、僕もホッとしたのだけれど…
「いや~本当に長い事、待ちました!」
「いや~スイマセン…」
「でも、来てくれると信じていました。」
「ハハハ…」
増田パパの無事な姿を確認したところで(無事に決まっているのだけれど…)
木曜日にあった出来事を簡単に増田パパに伝える。
「じゃあ、その方と、形の審査に臨むわけですね…」
増田パパの一抹の不安は理解できる。だが、
『先生の教え』
を体現するのならば、その不安を乗り越えた先にある。
「取り敢えず、荷物、向こう側に移しましょうか…多分、いつもの通りなら、
あの辺りが『投の形』の講習(研修)場所になると思います。」
「了解です。」
「今日は、ずっと増田パパのサポートをしますので!」
増田パパは笑っていた。笑いが納まった処で改めて、僕は依頼をされた。
「お願いします。」
荷物を移して間もなくだった。K坂先生と今野さんが7階の大道場に現れた。
「あっつ!来た来た。あれだ!」
増田パパと一緒にK坂先生と今野さんの元に走り寄っていく。K坂先生達も気付いたようだった。
平面上の1点に、4つのベクトルの終点が重なる。(こういう表現をあなたは寒く感じるのでしょうか…?)
「揃いましたね…」
K坂先生が、顔を見渡して呟く。僕は、簡単な自己紹介も込めて現状を今野さんに伝える。
「今野さん…でしたっけ?私、takumaroと申します。こちらは、増田さん。今日、事前に
今野さんが『投の形』の勉強に来る事をK坂先生より伺っていたのですが、どうでしょうか…
今日、こちらの増田さんとペアーに成ってもらって、今野さんが宜しければ、そのまま、
形の審査も一緒に受けて頂けないでしょうか?ああ、勿論、僕もサポートに入ります。」
「私もサポートに入ります。」
K坂先生も後押しをする。
「ああ、いや、こちらこそ!自分で良ければ…今日は宜しくお願いいたします。」
増田パパが最後に
「増田です。スイマセン…今日は色々と皆様方のお力添えを宜しくお願いいたします。」
話が一気に纏まった。
話が纏まったようだったので、僕は個人的に気になっていた事を質問した。
「処で、質問が在るのですが…」
K坂先生が応えてくれた。
「はい?なんでしょ?」
「あのK坂先生の先輩で、今野さんの高校時代の柔道部の顧問の先生って
『あのオッカナイ先生』
の事ですか?」
長く、その世界に留まっていると、ある日突然、その世界が狭く感じる事がある。
名前は解らないが…顔は見た事がある。そう言った人達が、自身の中で増えているからなのだけれど。
柔道を再開して、5年目を満了し、6年目に突入している。確かに、
『名前は解らないが…顔は見た事がある。』
そういう顔が僕の中でも増えた。
『物覚えが悪いか?礼や義理人情に疎いか…それとも…』
という僕へのツッコミも各諸方面から入るのだろう。念のために、
『あのオッカナイ先生』
というのは僕の個人的な感想になる。これは、これでツッコミが入るのだろう。
2人は、僕の質問を受けて、一瞬
『ポカン』
となった。が質問の内容は伝わったようだった。2人は笑いながら…いや、苦笑いかな…代表してK坂先生が応えた。
「そういう質問には、僕らからは答えられないですよ!」
2人に、改めて笑い…いや苦笑いをさせてしまった。僕も、気付いて苦笑いをした。
「そうですよね…」
増田パパが改めて僕の紹介をしてくれた。
「スイマセン…いつもいつも、家のtakumaroが皆様方にご迷惑をお掛けして…」
その場は、4人の苦笑いに包まれた。
当日…講道館『形』研修会(2017.12.16)その2
全体での整列が終わり、それぞれの形の場所に分かれて講道館の指導員の先生に依る形の指導が、それぞれの場所で始まった。増田パパは、此処まで何度も繰り返し『投の形』の稽古をして来ているが、改めて、先生の演武を見ながら、一つ一つの動作を確認する。
じっと、細部まで先生の動作を食い入るように
増田パパは演武を見続けた。
増田パパは、時に、実際に自分で動きながら
細部の動作を確認する。
講道館の指導員の先生の解説が一段落した処で僕は二人に声を掛けた。
「じゃあ、最初の技の演武に入るまでの動作を確認しますか?」
「(2人して)はい、お願いします。」
「じゃあ、ぶつぶつ僕は独り言を言いますので…それに付いて来てください。」
「(ハハハ…)」
互いに5間の間合いを取って、先ず、試合『場』に…礼!
互いに1間歩み寄って来て、そして、正面に…礼!
向き直って、互いに座礼…
そうです。立ち上がるとき気を付けて下さい。まだ、気を付け!です。そしたら、其処から
互いに一歩で半間前に歩み寄って、自然本体に!
「で、この次から、最初の技の浮落が始まります。ここまでの動作は大丈夫ですか?」
増田パパが声を上げた。
「こっちだと、取りですよね…受けを通しでやりたいのですが…」
「了解です。今野さん良いですか?」
「ハイ!解りました。」
2人はポジションをそれぞれ入れ代わる。
「どうです?いきなりですけれど…通して行ってみますか?」
「ハイ!それで…」
2人の投の形の稽古(取り:今野さん、受け:増田パパ)が本格的に始まった。
見ていて、取りを務める今野さんの一つ一つの細かな動作、そして、その総体の技はしっかりとしていた。
受けを務める増田さんの方は…何カ所か修正が必要だった。が、それは、後にして…先に、どうしても僕は確認をしておきたかった。
「細かいところは、ともかく、全体的には大丈夫そうですね!今度は、増田パパが取りを行きますか!」
今度は、増田パパが取りで、今野さんが受で、通して演武をする。増田パパは、取りの動作は何度も確認済みである。
そして、受けの今野さん動きを改めて確認した。そして、確信する。
「(これは、僕が増田パパの審査の時の相手を務めるより、ずっと良い…)」
今日会ったばかりで、ここまで合わせられる人がいるのかと、そういう驚きもある。
形の稽古の本質が其処に在るのだろう。
形の稽古において、互いに協力して、双方でそれぞれ何を再現するのか?
このとき、確かに双方にそれぞれの目的があり、それぞれが、その目的の再現をする事を意識する。
その結果、互いに協力した結果、其処へ再現される物…
それらが、再現できるのか?体現できるのか?そして…
誰とでも出来るのか…
双方の協力、双方の別々の目的、双方のそれぞれの再現に依り総体として出現する物、そして…
誰とでも再現出来る事…
…
自然に、苦笑いがこみ上げて来た。
「(『くだんのおっさん(先生)』は、随分と高いハードルを課したよな…)」
形の審査では、その形その物もそうなのだが、多分、此処に描いた事も同時に審査されるのだろう。
先生の方を見ながら、独り言を呟く。
「これも、『○○○○』ですか?」
柔道の教えの中に、2つの代表となる4字熟語がある。その内の、何れかが、此処には入る。
先生の顔色を伺う限りは、今の処…間違いではないようだ。
…
増田パパが取りで、今野さんが受けで一通りの演武が終わった。
「僕が、相手をするよりも、ずっと良いですね!本当に良かった!!
改めてですが、今日は、このまま増田パパの審査までお願いします。」
改めて、僕は今野さんにお願いをした。
「いやいや…そんな…でも、ありがとうございます。」
「いや~私からもお願いします。」
増田パパも改めてお願いをする。僕はストレートに聞く。
「やっぱり、今野さんの方が合わせやすいでしょ?」
「合わせやすいというか…」
増田パパは一瞬ためらってから、やはりストレートに言った。
「…takumaroさんだと、『重い』からな…」
「あっつ…アタタタタ…」
今野さんは笑っていた。ただ、確かに僕の体重は『少し』増えた。
『(明日からダイエットをしよう!)』
同じような景色、そして、同じようなセリフは、確かに至る処で観る事が出来る。
…
「もう一度、改めて増田パパが受でやってみますか…」
今野さんに取りをやってもらい、増田さんの受けの時の、細かな動作の修正をした。
修正の時だけ、僕が臨時で受けに入り、増田パパに動作を確認させる。
…
「肩車の時はですね…この持っている釣り手が、動きの中でスライドして、相手の引き手の肘の処を持つように変化して…」
…
「内股の時は、自護体ぎみに、一歩足を踏み込んで、
それぞれ組んで、それから取りの崩しの動作に合わせて受けが動きます…」
…
投の形の指導者として、かなりのダメ出しを受けて来た事が、この日は本当に役に立った。
「えっつ?僕が誰にダメ出しをされたのかって?」
まあ、まあ、今回は其処は触れずに…
増田パパと今野さんは、細かな動作を確認しながら、都合3回の通しの形の稽古をした。
そして、いよいよ、形の研修会が終わり、受験希望者達の形の審査が始まった。
投の形の細部の動きを確認する増田パパと今野さん
(写真でも解るが、スマフォを持っている右手首には怪我のためにテーピングが巻かれてある。)
当日…講道館『形』研修会(2017.12.16)その3
いよいよ、この日の増田パパの形の審査が始まった。
増田パパにとっては、本当に初めての
『形の審査』
になる。
遠くから
『先生』
もこちらを見ている。
自分が審査を受けている訳ではないのだが…
一瞬、僕も緊張をしてしまった。
そして、増田パパの形の審査が始まった。
審査は、取り(技を仕掛ける側)と受(取りの技を受ける側)の両方が
審査される。
形の審査が終わった。
形の審査の受験者が、本当の意味で
一番緊張する瞬間だ。
増田パパは、無事に形の審査に合格をした。
「折角ですから、此処で写真を撮りましょうよ!」
こう言った表現が許されるかどうかは微妙だが、
確かに、見届けている人達がいた。
その人達との記念を記録するのもありだろう。
知識か…技か…再現される事か…あるいは…
体現される事か…
何かが、教示され、そして、
何かが、受け継がれて行く。
エピローグ…
「じゃあ、着替え終わったら、玄関で待ち合わせで…」
K坂先生は、この後、大学の先輩と会う約束があるらしく、先に帰られていた。着替え終わって、
玄関で、僕、今野さん、増田パパの3人が揃う。増田パパが自販機にお金を入れながら…
「今日は、本当にありがとうございました。どうぞ、飲んでください!奢ります!!」
「(やった!缶コーヒーだ!!!)」
いつもの事だが、心の声が漏れそうになる。ちなみに、僕にとっての缶コーヒーは心のオアシスである。
増田パパの申し出を嬉しく思っていたら…
「いや…そんな…こちらこそ勉強になったのに…」
今野さんは、増田パパの申し出を辞退しようとしている。
「(いやいや、今野さん、其処は、そう言わずに、頂ましょうよ!)」
「遠慮なさらずに、今野さんどうぞ!」
「いや…」
「今野さん、遠慮なく頂いて下さい。でないと…僕も缶コーヒーが飲めないので…」
完全にいつもの僕に成ってしまった。完全に心の声が駄々漏れである。今野さんも一瞬
「はっ!?」
となったが、意味は直ぐに解ったらしく笑っていた。
「勿論、便乗して…僕も頂いていいですか?増田パパ?」
「ええ!勿論ですよ!!!」
増田パパは、大夫前に僕が言っていた事を覚えていた。
「缶コーヒーは『心のオアシス』でしたっけ?」
増田パパがちゃんと覚えていた事に思わず、僕は親指を立ててしまった。
今野さんは、改めて笑った。
「では、頂きます!」
…
講道館で、今野さんと別れて増田パパと地元『春日部』に戻る帰路に就く。
少し前なら、僕はこのまま自宅に直帰なのだが…
「今日は、柔道クラブの方で報告ですね!(柔道クラブの方に着いたら、『レスラーO先生』に事前に報告か…)」
増田パパから頂いた缶コーヒーを飲みながら、電車の中で構築された『(僕にとっての)心のオアシス』
を満喫する。増田パパは僕を見ながら
「本当に…缶コーヒー…好きなんですね…」
「いや…本当に大好きです。人の3倍、味わっています。」
増田パパは笑っていた。読者のあなたなら(他の『記事(お話)』を読んだことがある、あなたなら)、これが、
僕の『ボケ』ではない事が解るのだろう。まあ…それは、さておき…
「いや~6年目にして、やっと初段になりました。」
増田パパが僕に照れ笑いを見せた。
「(長かったよな…)」
なんか僕もホッとした。増田パパから、改めて口上を受けた。
「いや、お蔭様で……やっと…初段になりました。」
この1年間の、月次試合に出場し続けて来た事、そして、形の稽古で、2か月間、ネットの動画を見ながら
子供達にも協力してもらって、
先生達とも共に形の稽古を積んだ日々の記憶が、何よりも、柔道を始めて6年目の思いが凝縮されていた
一言だった。
「良かったですよね…いや、僕は最初に、控室に入って、増田パパの姿を探し、さらに、しばらく待ってみたのですけれど
、もう途中から、7階の大道場に既に行っている事に期待を託しましたもの…」
確かに、7階の大道場で増田パパの姿を見た時は、本当にホッとした。増田パパは、先ず笑ってから、
「いや~私も控室で、takumaroさんの姿を待ったのですが、途中で気付いて、私は早々に7階の大道場に上がりました。」
「はっつ?」
増田パパは笑って
「そもそも、控室(更衣室)って別々じゃなかったでしたっけ?あれ…takumaroさんって柔道続けて何年目でしたっけ?」
これが、僕の天然振りである。この瞬間まで気付かなかった。
「そうか…!そうですよね!でも、これからは、一緒の控室です!!!」
講道館の控室、つまり更衣室は、無段者の人と、有段者の人とで更衣室が分かれている。なので、
今までは、控室(更衣室)で増田パパと会う事は在り得ない話だった。でも、これからは違う。
増田パパは、何かに反応した。携帯に何かの着信があったようだった。
「今日の形の審査…どうでしたか?」
『業師K先生』からのメール!?のようだ。増田パパは直ぐに返信をする。
「お蔭様で、形の審査に合格しました!」
しばらく経ったら、また着信があったようだ。再び『業師K先生』からだ。増田パパはメールを見ながら…
「えっえ~!!!」
と成っていた。
「どうしたんですか?」
増田パパの反応が気になって、メールを見せてもらった。『業師K先生』のメールには、
月次試合の点数と弐段昇段までの年数の計画案が示されていた。今回は、僕は当事者ではないので
メールを見ながら笑ってしまった。
「(『業師K先生』…相変わらず無茶振りするよな…正式には、増田パパはまだ、初段じゃないぞ…)」
増田パパは、しばらく考えてから
「今まで、ご指導ありがとうございました。今後も宜しくお願いいたします。」
と簡潔に、『触れずに』返信をした。隣で、僕は見ていたのでツッコミを入れる。
「あれ?改めて別のメールで決意表明をするのですか?」
増田パパは、苦笑いしつつ
「いや~しばらくは~少し、落ち着きたいです。」
「まあ~それも、そうですよね…でも、その内、心が沸き立って来ますから!」
「そういうものなんですかね…」
この時の増田パパの反応に、もう既に、増田パパは次の『道』を探しているようにも僕は観えた。
「じゃあ、後程、柔道クラブの稽古で!」
増田パパと春日部の駅で別れて、直ぐに柔道クラブの稽古に向かう。駅まで、車で出ていたので、多分、僕の方が
早く武道館に着く。幸い、僕の方が先に着いた。僕が、今日の柔道クラブの稽古へは、講道館『形』研修会に参加のために
遅れる事は先生達へは連絡はしてある。道場に入ってレスラーO先生に挨拶をしたら、
「遅い!」
の一言の後に、腹パンチを頂戴した。
「先生~『遅れます』って僕、言いましたよ~」
まあ、この辺りの風景は、昔の体育会系『あるある』みたいなものである。
「それは、そうと…『報告』があるって何?」
レスラーO先生から質問された。手短に
「増田パパが、今日の講道館『形』研修会の直後に実施される形の審査に合格しました。
これで、1、2か月後に初段に昇段でしょうか…」
「ああ…そういう事か!!!」
「先生…」
「うん、解った!!!」
増田パパは、僕から20分程、遅れて武道館に到着した。
後で、聞いたら、駅からの自転車の移動と、それまでの形の審査による緊張等の疲れが一気に帰り道に出たとのことだった。
「(そりゃそうだよな…長い1日の筈だもの…)」
この日の柔道クラブの稽古が終わり、子供から大人まで稽古者一同が整列をする。
黙想、正面への礼、等々が終わり、先生達からの諸連絡がされる。そして、最後に…
「今日、いつも一緒に稽古をしている増田パパが、講道館での形の審査に合格をしました。ええ…
正式には、1,2か月後に増田パパ、いよいよ初段になります!」
レスラーO先生より、稽古者一同に増田パパの報告がなされた。稽古者一同から大きな拍手が贈られる。
増田パパは照れ笑いしながら、レスラーO先生から促されて立ち上がる。
「増田さん、手短に今後の抱負を!あのtakumaroさんみたいに長い話はしないように…」
何故かどっと皆が笑う。
「(僕は、そんなに…話…長いのでしょうか…)」
たくさんの、読者からのツッコミも来てしまいそうだ。一方で増田パパの挨拶は簡潔だった。
「お蔭様で、初段への昇段が内定しました。今後も、引き続きご指導を宜しくお願いいたします。ありがとうございました。」
改めて、道場に稽古者一同の拍手が鳴り響いた。鳴り響く拍手の中、増田パパは深々と一礼をした。
柔道を始めて6年目…
鳴り響く拍手を胸で受けつつ…
去来する思いを噛みしめながら…
オチ…
時間を少し巻き戻す。
講道館『形』研修会の中で、増田パパと今野さんが投の形の稽古を始めてしばらくしてからである。
K坂先生が、遠くのエリアを見ながらソワソワしていた。
「どうしたんですか?」
「あの、講道館護身術のところに、お世話になっている『先生』が居るんです…」
声のトーンから、何となく所謂、体育会系のそれを感じる。
「K坂先生、僕、2人を見ていますから、どうぞ!」
「スイマセン…」
「一区切りが着いたら、僕も講道館護身術の方に合流をします。」
K坂先生は、一礼をして急いで講道館護身術を稽古しているエリアに向かった。
僕も、2人の投の形の稽古を見ていたが、通しで3回の演武をみて、
気付いた事のアドバイスをした。さらに、2人して形の細部の動きの確認をするのを見届けて
「(審査に関しては、問題ないな…)」
と確信をした。なので…
「あの…多分、今の2人なら、もう審査には問題ないと思います。(誤解のないように…これは僕の感じ方になる。)
なので…ちょっと向こうの講道館護身術の方に行って良いですか?(これは、僕のわがままである。)
勿論、2人の審査は最後まで見届けます。(2人の許可が出る事を、心から祈っている。)」
と2人に話をした。幸い、2人は許可をくれた。
で、僕もこの日、研修会終了まで30分なかったが
後から講道館護身術の方に合流し稽古を始めた。柔道の形の演目はたくさんある。
投の形はその内の一つにすぎない。それと、僕自身、現在も形の稽古を継続して続けているが、
その形の稽古で最初に覚えたのが、
この講道館護身術である。のだが、近頃は、固の形の稽古に時間を取ってしまい、講道館護身術の稽古をしていなかった。
改めて、冷えた身体を温め直してK坂先生に申し出る。
「K坂先生…通しで1回やってみますか?」
K坂先生は快諾してくれた。
「良いですね!じゃあ、やりましょう!」
K坂先生は道具を持ち出した。
「先生…僕が『受け』で良いですか?しばらく、護身術の稽古をしていなかった…のもあるので…」
講道館護身術では、道具を持つ方が受けを務める。K坂先生は申し訳なさそうに
「良いんですか?」
「ええ!構いませんよ!それに、お世話になっている先生に、今、ちょうどK坂先生は指導を受けたんですよね?」
「ええ…」
僕が、受けで、K坂先生が取りで、講道館護身術の演武を始めた。そして…7本目の抱取の時に…
「ぎえ~っつ!!!」
久々に、悲鳴…ではなく、業師K先生がいう処の『奇声』を講道館7階の大道場に木霊させてしまった。
「ああ!!大丈夫ですか?」
K坂先生もびっくりして、少し慌てていた。
「いや…大丈夫です…スイマセン…大きい『(奇)声』を出してしまって…」
「あの…確かに、肘が『ぐっり』という感じがしたのですが、本当に大丈夫ですか?」
「…大丈夫です…」
結論を言うと大丈夫…だったのかどうかは怪しい。というのは、このときの痛みが取れるまで1週間かかった…
「何か…違う極め方ですよね…」
「ああ…takumaroさんも先生に教わります?」
「取り敢えず、形だけで…最後まで通して貰って良いですか…」
「…はい…」
K坂先生と全部で21本の技からなる講道館護身術を8本目から残りを全て演武する。
終わった所で、僕も、その先生に講道館護身術の幾つかを教わった。
「(こんな極め方もあるんだ…)」
遺されている『形』を色々な意味で改めて考える。その後、周りにいた先生達との話になった。
「形を…形の稽古をしていると…怪我が増えるよね…」
「(うんうん…)」
なんか、自然に頷いてしまった。
「特に講道館護身術と言いながら、全然、『護身術』になっていない…」
思わず声に出して笑ってしまった。其処へ、K先生が上手い事をさらに言った。
「講道館護身術を学ぶためにも、『心の護身術』を先に学んでおかないといけませんよね!」
「ハハハ…」
先生達との話の最中に、この日の講道館『形』研修会の終了の時間が来た。
笑い話かもしれなが、その中に確かに様々な矛盾を垣間見たりする。しかし、其処で垣間見た景色は
ある種の本質を捉えていたりもする。
結局、この日も講道館で、僕は 形の研修会において
「ぎえ~っつ!!!」
の奇声を発するという、いつもの景色を展開させてしまった。
「『痛い!』思いをするから、学ぶんだって!」
あいつが、さりげなく一言で片付けた。
確かに、この性格…
これからも何かを学び続けて往くのだろう。
そして、学び獲った何かを、描き遺して往くのだろう。でも…
「『痛い!』の何とかならないのかな…」
僕は、子供ではないが…大人でもない…なので、これ位の発言は今後も許してもらおう。
takumaroはこれからも往く!そして…
takumaroは今日も往く!
あとがき…(あるいは…言い訳…)
本稿は、久々に描いた柔道の話になる。業師K先生達への『報告レポート』も兼ねている。のだが…
提出期限はとっくに過ぎているような気がする…
途中で、風邪をひいたり(寝技大会が終わって間もなく)
描いていて、やはり、いつものように収拾がつかなくなったり…
とにかく、ようやく…
僕にとっての『元旦』を迎えられそうである。正確には、今、これを描いている時点でやっと…『大晦日』という心境である。
やっと…ここまで辿り着いた。
この記事は
『報告レポート』
も兼ねているから、形…柔道の形の稽古を通じて獲られた物を所々に描いて見た。
描かれた物は、僕個人の体験知になる。(『体験知』とは、体験をして得た知識という意味で表現をしている。)
まあ…先生達のレポートの採点はともかく…
『体験知』を形を変えて、こうして記事としてまとめたのだが…まあ、これ以上は此処では今は描かない…
(僕が『描かない』…としている時は、たいていの場合…僕の中で問題発言を吞み込んでいる…ただ、どこかで、
吐き出す事になるのは解り切っているので、それで、『今は描かない』と描いている。)
今年は(念のために2017年の事)、本当にたくさんの一緒に稽古を積んでいる同志が昇段を果たした。
柔道教室:
中学生:N本君、Y野君、S田さん、K井さん、E君、
おっさん:S籐さん、T田さん、重鎮S先生、
柔道クラブ:
おっさん:takumaro(僕の事)、そして、今回の増田パパ
情けないかな…あと一人が思い出せない…本当に情けない…(思い出したら書き足そう…)
まあ、とにかく今年は本当に収穫の年だった。これまでに、一緒に稽古をしている身内の中から
こんなに昇段者が出た事はなかった。
個人的には、道友会の形の競技会にも、ようやく出場し、そして優秀賞まで頂いた。これは、本当に予想外だった。
(道友会の形の競技会は厳しい大会で、演目に依っては受賞者無しという年もあった。それが、解っていたので、
当初の目標は、1つ下の努力賞が目標だった。それにしても…努力賞もネーミングが良くない。この大会は、
努力賞だって、獲るのが物凄く大変なのに…)
さて…『道』は、それぞれに続いていくのだが、新年を迎えるにあたり、(実は、もう新年なのだけれど…)
いつものように一句披露…二句披露か…
えっつ?ちゃんと、今回の記事の内容と重なる句だと僕は思う。
旧年中はひとかたならぬご愛顧を賜り厚く御礼申し上げます。
なお本年も相変わらずご指導ご交誼のほどお願い申し上げます。
既に、新年を迎えられている皆様方の、より一層のご活躍を祈りつつ
『古の 教え頼りに 今日も往く 明日の我が身の 背中夢見て』
『古の 教え受け継ぎ 今日も往く 語り継がれた 『道』を継ぐため』
2018.01.03,記(2017.12.18--2018.01.06)
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