枕:『現実と虚構の狭間で…』
現実と虚実の狭間で…
と言いたいが、現実に起きている事は、その判読が本当に難しい…
『虚構』
の言葉の意味する処は、
事実をそのままではなく、作為を加えて、より一層強く真実味を印象付けようとする事。
という意味になる。
…
故に
『現実と虚構の狭間で…』
と、僕は『描く』
…
現実と虚構の狭間で…
どれだけの、悲劇と喜劇が生まれて来たのか
…
現実と虚構の狭間で…
数々の人々が織り成す出来事が、積み上げられ、そして、
歴史が造られて来た。
「(語られている、大抵の歴史は、『勝者(権力者、権威者、その時代の金持ち…)』の都合に依るのだが)」
ある者は正義を騙り、英雄となり、そして、
ある者は、汚名を着せられ、悪者にされ、そして、
この世から抹殺された。
…
『変わらぬ景色』の一つだろう。
『千年の 月日と言えど 癒されぬ 唯々笑う この世の様を』
上記は、僕が前に披露した『一代八句往生記』の第七句になる。
この第七句は、ある『友人』を想って描いたものになる。
少し、許されるのなら…
現実と虚構の狭間で…
不思議な人間関係に出くわす事もある…
そもそも、
現実と虚構の狭間から
僕らは、生まれたのだから…
「えっつ?解らない?」
仕方がない。では、宗教の力をかりて
浄土真宗、礼賛文(あるいは三帰依文)は、次の一節から始まる。
…
『人身受け難し 今己に受く。(にんじんうけがたし いますでにうく)』
…
さて、何を信じればいいのか?
少なくとも、この今あなたが見て、観ているこれは、僕が、パソコンを起動して、『Jimdo』を用いて
確かに僕が描いている。
あなたが、観ている、さらに、その向こう側に確かに僕が存在(いる)。
見た事も、会った事もない、人間どうしの関係が、いとも簡単に構築される。
…
見た事もない、会った事もない、人間同士の関係から、何をキッカケにして、
現実の人間関係が生まれるのだろうか
それは…
叫びか、悲鳴か、あるいは、たんに振り向いて欲しいだけなのか…そんなに寂しいのか…
こんな世に何を彼らは期待をしたのだろう…
『神奈川県座間市のアパートで男女9人の切断遺体が発見…』
僕は、公平性を期するために描き遺す。
『誰もが、『被害者』になったかもしれない…そして、誰もが『加害者』になったのかもしれない…』
たくさんの僕への『罵詈雑言』が聞こえてきそうだが…しかし…それも込めて
『変わらぬ景色』
の一つが此処にある。
夢も希望も無いのか?
そんな事は無い。ただ、時に、正しく現実と向き合わなければならない事もある。
さて、今回は、僕は、タイトルの始めを『枕』とした。
人々を救うために
現実と虚構の狭間からたくさんの『物語』が生まれた。
現実の社会と向き合い、その矛盾、歪み、ズレ、それらから齎される
痛み、怒り、悲しみ
『物語』を描く者は、何を遺したいのか…何を求めているのか
『物語』を読む者は、何を求めているのか…何を期待しているのか
確かに、此処に、描く者と、読む者の不思議な関係が生まれる。
そして、また、ここまでを観る限り
其処で、何らかの『効果』が生まれるようだ…
(正直に言えば、今の僕が解るのは、半分の『効果』だ。残りの半分の『効果』は未来にならないと解らない。)
僕は、これを歴史という篩をも潜り抜けて
現実に存在し続けて来た、真実(ある『システム』)と理解しているのだけれど…
あなたは、どう思う?
『変わらぬ景色』
の一つが此処にある。
さて、今回の『SNSについて…考える…』のシリーズも此処で7回目に至った。
今回は、『現実と虚構の狭間で…』というサブタイトルで話を展開した。
実は、『現実と虚構の狭間で…』というのは、今の僕の立場そのものでもある。
『SNSについて…考える…』のシリーズは、あと2回で一区切りにしたいと思う。
この2回で、実際に僕が
現実と虚構の狭間で、『物語』を実際に紡いで魅せよう。
勿論、ちゃんと、
『SNSについて…考える…』
のタイトルに則した内容の『物語』を。
takumaroは今日も往く!
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