個人として、どういう立ち居振る舞いをするべきか…
まずは、前回のブログに書いてある内容から…
『サイバー空間上に居場所を確保しSNSを利用する、その人間の問題というのもある。
残念ながら、『現実社会』において、犯罪者が0(ゼロ)なわけでは無い。『現実社会』においては、
宗教、道徳、倫理、そして、法律、といった具合に、人々が自身を律するもの、あるいは、悪意ある人の行為を制限するものが存在する。しかし…昨今に急激に誕生した『SNS上(サイバー空間)』では、どうだろう…』
『SNS上(サイバー空間)』でも、(その人は)どう立ち居振る舞うかは、当然ながら問われる事である。
そもそも、
『SNS上(サイバー空間)』でなくても、(その人が)どう立ち居振る舞うかも、当然ながら問われる事である。
では、その
『個人として、どういう立ち居振る舞いをするべきか…?』
実は、これが、そもそものかなり大きい問題提起になってしまっている。具体的に、どういう事なのか?
相反する意味の2つのキーワード(言葉)を幾つか並べて見せる。
『公人』と『私人』
『本音』と『建前(立前)』
『個人』と『組織』
…
今、僕は、こうして、具体的な互いに相反する言葉で、個人の立ち居振る舞いに関係するキーワードを描き出した。
だから、解ると思う。大きい問題提起である事が。でも、互いに相反する言葉だけれども、ちゃんと、其処に
自分(個人)の存在、さらには、尊厳を確立する方法はある。以下、僕が感じている方法を紹介する。
(先に補足…)
数学の合同関係式で、其処に、言葉を当てはめた表現をこれから見せる。
今の処、僕の場合は、どんな言葉よりも、このような
形式の表現の方が、時に、より精錬された研磨されたものだと感じる。但し、僕の場合は、学問として、さらには
『道』としての『数学』を歩んでいる事も関係する。その人が、その内容を理解できるかは、基本的に、『その人の経験』
に基づいてなされる。なので…ましてや、僕は『数学』を用いて表現をしている。しかし…
『これを読んでいる、あなたが馬鹿なのは本当に困る…』
いや、勿論、僕は困らない。けれども、それでも
『あなたが、馬鹿なのだけは本当に困る…』
これで、意味…解りますよね…
相手に、寄り添うというか…ある種の、『感性』はどうしても必要な時もある。また、こういう物が
専門家(数学の)でも意見が分かれる処でもあるのが現実である。勿論、数学の議論としてもある種の危険ははらんでいる
事を僕は理解している。
しかし…一歩踏み込んで
『自由を土台に『何か』を描く』
もし、…話が逸れそうなのでこれ以上は今は描かない。
これから、合同関係式としての表現を紹介する。相反する、2つの言葉だけれども、別のもう1つの言葉を用いて、ちゃんと
其処に自分(個人)の存在、さらには、尊厳を確立する方法はある。
公人 ≡ 私人 mod (個性)
公人 ≡ 私人 mod (美学)
個人 ≡ 組織 mod (理想)
本音 ≡ 建前 mod (ユーモア)
(modの後の、言葉は、何を『基準』にしているのかという観点で色々置き換えられる。)
…
今、こうして描いて見せたけれど…あなたは、やはり、苦笑いをしているのだろうか…
もし、意味が通じたとしても、では、実際に…これらを再現するのは途轍もなく大変な事である。
『個人として、どういう立ち居振る舞いをするべきか…?』
実は、これが、そもそものかなり大きい問題提起になってしまっている。とは、こういう事なのである。
そもそもの大きい問題提起の上に…(前回のブログの内容から)僕らは、『第4次産業革命』
と呼ばれるような、昨今は、実に急激に不思議な社会構造となってしまった現実に直面している。
このようになってしまった社会現象を意味合いも込めて式として描くと
『超スマート社会 = 現実社会 + サイバー空間』
と呼ぶようである。(参照、参考、2017.03.05 読売新聞朝刊、1面 「地球を読む」著 白石 隆)
そういう現実に直面している。問題は、上の等式の右辺にある。つまり…
『現実社会の自分』と『サイバー空間の自分』
其処に、ある種の整合性を担保しつつ、個人としての立ち居振る舞いが出来るか…?
これが、カギになる。何を持って『整合性を担保』させるのかは、勿論、その人の自由である。
(問題提起)
あなたは、どう立ち居振る舞いますか? (mod の後の(???)に入る単語は、あなたの方で決めて下さい。)
『現実社会の自分』≡『サイバー空間の自分』mod (???)
具体例を紹介します。僕の場合です。入る単語は1つでなくともいいと思います。以下、参考まで
小川琢磨(本名) ≡ takumaro(ペンネーム、ハンドル名) mod (個性、美学、哲学、…)
takumaroは今日も往く!
(追記)
サイバー空間における、立つ場所、活動場所は、殆どの人が複数持っているのだと思う。僕も、複数持っている。
今回は、副題を
『個人として、どういう立ち居振る舞いをするべきか…』
として、具体的な立ち居振る舞いのヒントになる物を提示し、最後に具体的な問題提起までした。元々は、
http://researchmap.jp/takumaro/
のページ内の研究ブログで(上記ページへは『小川琢磨』で検索でも直ぐに辿り着く)
タイトル『短歌披露、個人と組織』
として、発表した内容を、今回の一連のテーマ『SNSについて…考える…』に合わせて、
さらに、深化と進化させたものになる。かつても、描いた事だが…
『個性』、そして、その『個性』を生み出し続けている『個人』は、基本的には、この国ですら…
その存在を認めていない。これが、現実である。故に、皆様方は、どうか、その立ち居振る舞いを、慎重にとられることを
願います。僕の場合は、『無理』なので、このまま生き往きたいと考えています。繰り返しになりますが、
皆様方は、どうか、その立ち居振る舞いを、慎重にとられることを願います。
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