ほぼ、ほぼ前回の続きの内容になる。さて…『情報』はどのように流れて行くのか…あるいは、その『情報』はどのようにして精錬されていくのか…という事を考えたとき、例えば、ある基準や枠組みを土台にして、その、
『内部』と『外部』
といった、2つのフィルターを通してより、その人に依って、また、その人にとって『情報』が
より精錬されていくのだと僕は考える。
前回の話は、僕の『内部』から僕が感じっとたものを記録した内容になる。
『心(魂)が先か…技が先か…体が先か…』
僕の場合は、
『モグラ叩きゲーム』
をしている毎日である。
けれども、この『モグラ叩きゲーム』をするのと同時に、外部にも必要な『情報』を求めて行くことも必要になる。
『アンテナを張る』
という事なのだけれど…以下は、そう言った、僕自身が張ったアンテナに引っかかった情報の一つである。この、5年の間に読んだ本の1冊である。実際に読んだのは、3年位前だろうか…今回、機会を獲て、再び関連する処を読み返している。
「読み返している」
つまり、この本は僕は既に所収している本の1冊である。
「『透明な力』~不世出の武術家 佐川幸義~」 著、木村達雄 講談社(1995)
ちなみに、僕が所収しているのは2009の第16刷になる。
(以下は、リンクが張ってあるので、クリックするとAmazonのページに飛ぶ)
この本の帯の最後は、こう締めくくられている。
「伝説の達人が語り明かす現代の五輪の書。」
伝説の達人とは、佐川幸義氏のことである。この本は、佐川幸義氏の門人(弟子の1人と言った方が良いのか…)の1人の
木村達雄氏が、稽古の中で、あるいは木村達雄氏が師の佐川幸義氏へ質問をぶつけていく中で、
佐川幸義氏が質問の答えとして遺した言葉、それらを記録し続けたノートを元にして書かれた本である。
僕は、残念ながら、佐川幸義氏とは会った事がない。また、もう会えることは叶わない。既に、佐川幸義氏(1902~1998.03.24)は鬼籍に入られている。僕が、何でこの本を購入したかと言うと、この本を書いた著者の
木村達雄氏を知っていたからである。知っている…と言うより…
僕は、1998.04月より、筑波大学大学院 数学研究科へ進学し、その後8年間、其処で数学の勉強や研究を続けたのだが、この大学院へ在籍している間に、お世話になった先生の1人が木村達雄氏になる。お世話になったというよりは…
ある時は
『励まされ、元気をもらい』
また、ある時は
『物凄く怒られて…』
また、ある時は
『(僕が)噛みついてしまった…』
そういう人物である。以下、ここからは、木村先生と呼ぶ。実際に、大学院在籍中に木村先生の講義を(勿論、数学である。)を受けた事もある。また、上にもある事と関係しているのだが、実際に数学の研究上の事で色々と相談をした事もあった。数学を学んでいく研究をして行く上での姿勢を質問したような気がする。また、木村先生は、僕の初めての
講演依頼があった学会発表をわざわざ見に来てくれた先生でもあった。というか…
「出来の悪い、生徒が、ちゃんと講演をする事が出来るのか…?」
心配でたまらずに見に来た。これが実情だったのだろう。ちなみに、この学会発表の後にも、やはり
僕は、こっぴどく怒られている。まあ、数学で怒られたのではなかった…
「『公』『私』の区別を、T,P,O,を踏まえて巧く使い分けなくちゃ…」
当時も僕は、色々あったが、それが何かしらの局面に突如として現れる事が多かった。木村先生は、
「僕の心の働き」
を観ていて心配をしていたのだろう。
僕は、数学者としての木村先生しか知らない。大東流合気武術の木村先生は知らない。ただ、
筑波大学の大学院生として在籍し、色々な形での接点は在ったので(上にも書いてあるが)、その時々に
『武術を通して鍛錬を続けている者の凄まじさ』
という物を何度か感じた事がある。ちょっとした会話、仕草、たまに観てしまった体捌き
『相当…鍛えているんだよな…』
「…」で、表現をごまかすのは良くないが、今に至っても言葉は出て来ない。
…
そういう、木村達雄氏を観て来ていたので、3年前に、とある(大型)書店で、武道関連のコーナーで、置いてある本を見ていたら、偶然にも、この本に(上記にある画像の)目が留まった。この本は、当時、大学院生の間でも、かなり話題になってはいたのだが、僕自身の個性もあり、当時は(大学院生の頃は)全くと言っていいほど、
興味も関心も無かった。色々な周囲の噂で
「へえ…(木村)先生、『何か』本を出しているんだ…」
その位にしか、僕は感じていなかった。3年前にその本を、とある(大型)書店の武道関連のコーナーで目にした。
ようやく、その時の『機会』と『奇縁』と『時機』を獲て、この本を購入するに至った。
本そのものは、読みやすいと思うし、直ぐに読み終えてしまうと思う。ただ、当時(3年前にも感じた事は)感じた事は、
「これは…機会ある毎に、読み返して、『文章』や『言葉』の重さを検証した方が良い…」
そう感じた。今回、機会を獲て、再び読み返している。今回のブログのタイトルは
『心(魂)が先か…技が先か…体が先か…』
というタイトルだが、これに関連する話が、上記にある本の『佐川先生語録(p52~p106)』に書かれてある。
以下、今回のタイトルと前回の内容に関連すると僕が感じた部分の一部を以下に3つ、本文をそのまま紹介する。
本からの引用である事と、今回と前回のブログの内容の根幹にも関わる内容なので本文(引用)を解りやすくするためにも
赤字にて表記する。
「(木村先生も、佐川先生に、相当にボロクソに言われ続けて来て、何とか其処まで辿り着いたのだろう。)」
1、これは、佐川先生に言われ続けて来た事を、木村先生がご自身の言葉で改めて書き起こしたものだと考える。
『(前略)向上のもとになるのは心である。特に武術に於いては強い精神力が不可欠である。最後は魂と魂の戦いなのだ。ただ、注意しなければならないのは何事についても心は技術を通して生きてくるという点であり、技術なくして心の作用だけでやることは決してできないということである。』本書、p56
2、これは、多分…佐川先生自身の言葉なのだろう。それを、木村先生がノートに書き留めたのだと思う。
『(前略)体の鍛錬を何十年と毎日続け、毎日身体を慣らし続けなければ、本当には出来るようにはならない。
体を鍛え続け、いろいろ考え続けて技が体からにじみ出て来るのだ。いろいろ工夫しながら毎日鍛錬を猛烈にやっても
体がある程度出来るまでに少なくとも20年はかかる。とても、10年やそこらではいくらやったって
体は出来て来ないのだ。』本書、p72--p73
3、これも、上記2と同様だと思う。 尚、前回のブログで
『強い!とはどういう事なのでしょうか?あるいは、そのプロセスに着眼して、
強く成って往く!とはどういう事なのでしょうか?』
という僕の個人的な疑問を提示したが、これに関しての、ある意味では残酷な側面についての見解が以下にある。
『(前略)あくまでも武術を通して強くしていくべきだ。人が強くしてくれるのではない。自分の工夫と鍛錬で
強くなっていくのであり、それで戦いに負けて殺されてもそれは仕方がない。すべて自分の責任でやる。
他に頼らない。(後略)』本書、p83
僕がある意味では残酷な側面だと感じたのは
『それで戦いに負けて殺されてもそれは仕方がない。』
の部分である。だが、現実は
『戦いに負けて、生きながらに殺される事も在る。(仕方がないで済ますつもりは僕はない。)』
こういう事を描くのは、よろしくないのかもしれないが、だが、現実に起こっていることである。
尚、僕は、個人的に著者と僕との微妙な人間関係が在った事と、柔道を再開するに至った色々な事が在った事とが
重なってこの本を購入し、機会ある毎に読み返している。僕は現在も柔道をしているが、柔道の立場で、あるいは、僕個人の
置かれている立場で、読み返している。どういう事か?
『要所の単語を置き換える事により、あなたの活動にたいするヒントが獲られるのかもしれない…』
という事である。以下は僕の場合である。引用として紹介した上記3の文章をモデルに一部を僕の場合で
描いてみると…
『あくまでも『生きて往く事』を通して、強く成っていくべきだ。(中略)
自分の『工夫』と『鍛錬』と『勉強』と『研究』と…(後略)』
…
あなたが、何らかのスポーツや競技、ゲーム、等々に夢中に成っているのなら、『武術』という単語と置き換えて
文章を改めて意味が通るように言葉を付け加えたりして作り直していくのも面白い事だと思う。
人に本の読み方まで指図するつもりは無いのだが、でも例えば(本書の)上記にある本の『佐川先生語録(p52~p106)』
に出てくる単語を、以下のような置き換えをすれば、ビジネス的な思考にも対応するのではと僕は考えている。
『心、あるいは、魂』を ⇒ 『使命、ミッション、美学、哲学』
『技』⇒『戦略、戦術』
『体』⇒『資本、情熱、エネルギー、やりがい』
…
成程…改めて繰り返しになるが、この本の帯の最後は、こう締めくくられている。
「伝説の達人が語り明かす現代の五輪の書。」
最後に、今回の…つまり、僕の個人的な話で(実は僕個人…と言うわけだけでもないのだが…)
『心(魂)が先か…技が先か…体が先か…』
という事に関してなのだが、今回、そういう事を考える機会を獲て、僕は、再びこの本の関連する処を読み返している。
この本は僕は既に所収している本の1冊である。今回、改めて皆さんに紹介した本は
「『透明な力』~不世出の武術家 佐川幸義~」 著、木村達雄 講談社(1995)
になる。ちなみに、僕が所収しているのは2009の第16刷になる。
(以下は、リンクが張ってあるので、クリックするとAmazonのページに飛ぶ)
「え?本に何て書いてあるのか?つまり、どれが『心』、『技』、『体』、のどれが先なのか?って?」
僕には、僕の、改めてこの本を読んで感じた事もあるのだが、それを、此処に記すのはこれ以上は控えようと思う。
『本には何と書いてあるのか…』
どうするのかは、あなたの『その決断』で決めて下さい。
takumaroは今日も往く!
(追記)
この、数週間の間に本当に色々な事が、僕自身に起きた。その事に対する『対応』に追われてしまう日々だった。
僕の中で思いついた『事業(本を紹介するという事)』を形にするまでに、かなり時間が経ってしまった。
まあ、仕方がないのか…本当に予想していない事は度々起こるし、起きてしまった事から、何かを感じ獲る事は
僕の場合は必ずある。ただ、それらに応じた行動を起こすにしても、其処に土台となる物は必要だと思う。
土台と言うと、言葉が弱いか…
土台となる『石垣』の上に…
これからも、機会が在ったら、紹介していくものは、
僕の、土台となる『石垣』の、その『石垣』を作っている
石の一つである。
やっと僕の中で
が起ち上がったのかな…
以下は、ホームページ内リンクです。(リンク先で、事業の全容が解ると…僕は考えている。上記『追記』でも解るか…)
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